サウンド版(サウンドばん)は、サイレント映画からトーキーへの移行期に製作された、音楽付のサイレント映画である。台詞の語られない発声映画(トーキー)とも定義される[1]が、サウンド版作品は、サイレント映画に分類される。

略歴・概要

編集

サウンド版を「音楽付のサイレント映画」と定義するのは、台詞が音声で語られないからである。演技の位相はサイレント映画のものである。台詞は字幕で語られ、とくに日本では活動弁士が映画館で解説する余地も残されたものである。活動弁士の解説がサウンドトラックにあらかじめ入れられたサウンド版を「解説版」と呼び、これはサイレントの芝居であり台詞を俳優が語らないにもかかわらず、トーキーに分類される日本特有の作品群である。

「台詞のないトーキー」と定義するのは、ディスク式トーキーないしはフィルム式トーキーのシステムを有する映画館でのみ、興行が可能なフィルムであるからである。

トーキー出現以前にサイレント映画として製作されたものを、のちに音楽を付してサウンド版として再映することがあった。フレッド・ニブロ監督の『ベン・ハー』、D・W・グリフィス監督の『國民の創生』(1915年、サウンド版・1931年)、二川文太郎監督の『雄呂血』(1925年、サウンド版・戦後)、フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(1926年、サウンド版・1984年)などである。

過渡期にあって、最初からサウンド版として製作されたものもあった。トーキーの技術力や設備、演出力、演技力を欠いたスタッフ・キャストが時代の要請に追われて製作する場合もあれば、サイレント映画にこだわっている場合もあった。⇒#おもなフィルモグラフィ

日本の場合、サイレント映画からトーキーとサウンド版に切り替えるのは松竹キネマが早く、1931年(昭和6年)からサウンド版を製作し始める。同年、最初のトーキーとされる五所平之助監督の『マダムと女房』が発表されるからである。同社は、1936年(昭和11年)にはすべてトーキーに切り替えている。新興キネマが盛んにサウンド版を製作するのは1935年(昭和10年)がピークである。マキノトーキー製作所では、1936年(昭和11年)からサウンド版も製作し始める。サイレントにこだわり、サウンド版に妥協するのは市川右太衛門プロダクション嵐寛寿郎プロダクションといった剣戟映画を売り物にする製作会社で、長くサウンド版を製作する。

甲陽映画は1936年(昭和11年)設立であるにもかかわらずほとんどがサイレントで、サウンド版も製作した。同年に設立された全勝キネマがサウンド版に着手するのは、1937年(昭和12年)のことである。いずれも剣戟映画に特化したプロダクションである。大都映画も同様で、1938年(昭和13年)段階でサウンド版を製作しているのは大都だけである。

チャーリー・チャップリンが1936年の時点で、『モダン・タイムス』のようなサウンド版映画を製作しているのは稀だとされたが、日本では小津安二郎や上記のような剣戟プロダクションが盛んにサイレント映画、サウンド版を製作していた。小津の最後のサイレント映画は1936年の『大学よいとこ』で、同年9月公開の次作『一人息子』が初めてのトーキーである。

近年制作されたサイレント映画には2011年の『アーティスト』や2012年の『ブランカニエベス』などがあるが、これらも厳密にはサウンド版に該当する作品である。

おもなフィルモグラフィ

編集

関連事項

編集
  1. ^ サウンド版デジタル大辞泉小学館コトバンク、2009年11月24日閲覧。