コン・ファンク・シャン
コン・ファンク・シャン(Con Funk Shun)は、アメリカ合衆国西海岸ヴァレーホ(ヴァレージョ)出身のファンク・バンドである。
コン・ファンク・シャン Con Funk Shun | |
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別名 | Project Soul |
出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ヴァレーホ |
ジャンル | R&B、ファンク、ソウル |
活動期間 | 1969年 - 1986年、1993年 - |
レーベル | マーキュリー、Fretone |
公式サイト |
confunkshunusa |
旧メンバー |
マイケル・クーパー フェルトン・パイレート セドリック・マーティン ポール・ハレル カール・フラー ダニー・トーマス ルイス・マッコール |
キャリア
編集バンドは、高校の同級生だったマイケル・クーパーとルイス・マッコールによって1969年に「プロジェクト・ソウル (Project Soul)」としてスタートした。1970年代初頭、彼らほか7人のミュージシャンたちは、ナイト・ライターズ(The Nite-Liters、ニュー・バースの前身)の歌にちなんで、「コンファンクシャン」と名乗るようになった。彼らは1973年に、スタックス・レコードのアーティスト「ソウル・チルドレン」をバックアップするために雇われ、エステル・アクストンのレーベル「Fretone Records」と契約し、デビュー・アルバム『Organized Con Funk Shun』がリリースされた。
1975年に、マーケティングと広報を担当したルイス・マッコールの妻・リンダ・ルー・マッコールの発案によって、バンド名の表記が「コンファンクシャン (Confunkshun)」から「コン・ファンク・シャン (Con Funk Shun)」に変更された。同年、公演のために日本に行き、「ムゲン」のハウス・バンドとして長期間演奏をおこなった。
1976年、コン・ファンク・シャンはマーキュリー・レコードと契約し、その後の10年間で11枚のアルバムをリリースした。バンドの1977年のアルバム『シークレッツ』は、1978年のアルバム『ラヴシャイン』、1979年のアルバム『キャンディ』、1980年のアルバム『スピリット・オブ・ラヴ』と同様に、アメリカ合衆国でゴールド認定を受けた。『シークレッツ』からは「ファン (Ffun)」がソウル・チャートでヒットした[1]。
コン・ファンク・シャンには、「ファン」(1977年、1位)のほかにも、アメリカ合衆国のビルボード・ブラック・シングル・チャートで数々のトップ10入りを達成した。「シェイク・アンド・ダンス・ウィズ・ミー」(1978年、5位)、「チェイス・ミー」(1979年、4位)、「ゴット・トゥ・ビー・イナフ」(1980年、8位)、 「タイトなあの娘 (Too Tight)[2]」(1981年、8位)などのヒットがある。
リード・ボーカルのマイケル・クーパーはソロとして独立した後、「トゥ・プルーブ・マイ・ラブ」(1987年)をソウル・チャートでヒットさせている[3]。
ディスコグラフィ
編集アルバム
編集- Organized Con Funk Shun (1973年、Pickwick)
- The Memphis Sessions (1973年、Fretone)
- Con Funk Shun (1976年、Mercury)
- 『シークレッツ』 - Secrets (1977年、Mercury)
- 『ラヴシャイン』 - Loveshine (1978年、Mercury)
- 『キャンディ』 - Candy (1979年、Mercury)
- 『スピリット・オブ・ラヴ』 - Spirit of Love (1980年、Mercury)
- 『タッチ』 - Touch (1980年、Mercury)
- 『カリフォルニア・イブニング』 - 7 (1981年、Mercury)
- 『トゥ・ザ・マックス』 - To the Max (1982年、Mercury) ※旧邦題『気分はラ・イ・ト』
- 『フィーヴァー』 - Fever (1983年、Mercury)
- 『エレクトリック・レディ』 - Electric Lady (1985年、Mercury)
- 『バーニン・ラブ』 - Burnin' Love (1986年、Mercury)
- More than Love (2015年、Shanachie)