コンセール・コロンヌ

コロンヌ管弦楽団から転送)

コンセール・コロンヌ (Concerts Colonne) は、1873年に創設されたパリのオーケストラである。コロンヌ管弦楽団とも呼ぶ。エドゥアール・コロンヌが初代の総監督であった。コンセール・ラムルーコンセール・パドルーとともに、パリ3大民間オーケストラの一角を占める。

歴史

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1873年5月、音楽出版社主ジョルジュ・アルトマン (Georges Hartmann) が、ヴァイオリニストで指揮者のエドゥアール・コロンヌを招いてコンセール・ナシオナル (Concert National) を組織し、オデオン座を本拠とした。シーズンの8回の演奏会では、マスネの『マリー・マグドゥレーヌフランス語版英語版』、サン=サーンスの『チェロ協奏曲第1番』の初演や、ベルリオーズの『ファウストの劫罰』の23年ぶりの再演なども行い、好評ではあったものの赤字で、アルトマンは手を引いた。

1873年11月、コロンヌはシャトレ座コンセール・シャトレ芸術協会 (Association Artistique des Concerts du Chatelet) を設立し、サン=サーンス、マスネ、シャルパンティエフォーレダンディドビュッシーラヴェルデュカスヴィドールシャブリエなどの、フランス近代音楽を紹介した。ワーグナーR.シュトラウスなどの作品も演奏した。

19世紀を通じては、サラサーテイザイらが来演し、モットルワインガルトナーマーラーチャイコフスキー、ドビュッシー、グリーグらが客演指揮した。

1892年4月に、コンセール・コロンヌ芸術協会 (Association Artistique des Concerts Colonne) と改名した。

代々の総監督を、次項に示す。

それぞれ、ガブリエル・ピエルネポール・パレーとが在任した20世紀前半の二つの世界大戦時には、演奏の質を保つため、コンセール・ラムルーと組んだこともあった。なお、第二次世界大戦のナチス占領下においては、ユダヤ人であったコロンヌの名ではなく、「コンセール・ガブリエル・ピエルネ」に改名させられていたが、解放後ただちに「コンセール・コロンヌ」に戻された[1]

以来、プロコフィエフメニューインマタチッチマウリシオ・カーゲルアルミン・ジョルダンミシェル・コルボジョゼ・ヴァン・ダムシルヴァン・カンブルランケント・ナガノルチア・アリベルティ英語版ステファヌ・ドゥネーヴ英語版らが来演している。

1981年に専属の合唱団を創設し、以降ハイドンの『天地創造』、プーランクの『グローリア』、ドビュッシーの『シレーヌ』(『夜想曲』第3曲)、ヴェルディの『聖歌四篇』などを上演した。1986年には、デュリュフレの『レクイエム』の録音で、リリック・ディスク・国際アカデミー (l'Académie Nationale du Disque Lyrique) のグラン・プリを受賞した。

歴代の総監督

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初演の記録(抄)

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列末尾の括弧内は指揮者名である。

脚注

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  1. ^ 今谷和徳・井上さつき『フランス音楽史』音楽之友社、2010年、425ページ

外部リンク

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