ゲレト・タイジ
ゲレト・タイジ(モンゴル語: Гэрэд、中国語: 格哷図台吉、1515年[1] - ?)とは、モンゴルのハーンであるバト・モンケ(ダヤン・ハーン)の子供の一人。『アルタン・ハーン伝』ではチャグ=モンケ(Čaγ Möngke)とも表記され、漢文史料では「克列兎台吉」と記される[2]。
概要
編集ダヤン・ハーンとその側室ジャライルのスミル・ハトンの間の息子として生まれた。同母兄弟にはチャハルのタタルを統治したウバサンジャ・チン・タイジがいる。
ゲレト・タイジはダヤン・ハーンの十一子の中で唯一子供がなく、そのため独自の遊牧集団を形成することなく亡くなった1482年[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 岡田英弘訳注『蒙古源流』刀水書房、2004年
- 森川哲雄「チャハル・八オトクとその分封について」『東洋学報』58巻、1976年
- 吉田順一『アルタン・ハーン伝訳注』風間書房、1998年