ゲオルク・ヘルマン・リッター(Georg Hermann Ritter、1828年 - 1874年12月25日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したドイツの化学者である。姓はリッテルとも表記される。
ハノーファーの生まれ。ゲッティンゲン大学卒業後にアメリカで化学工業の企業に勤め、学位を取得した。
1870年(明治3年)、金沢藩の招きにより来日し、大阪の理学所でクーンラート・ハラタマの後を継いで務めた。3年後の1873年(明治6年)には東京開成学校で理化学の教鞭を執った。
翌1874年(明治7年)日本で死去し、横浜外国人墓地に密葬された。