艦歴
建造: ジョンソン造船所(ブラックウォール
進水: 1679年
その後: 1744年解体
性能諸元[1]
クラス: 3等戦列艦
全長: 砲列甲板:151ft 5in (46.2m)
全幅: 40ft 2in (12.2m)
喫水: 16ft 9.5in (5.1m)
機関: 帆走(3本マストシップ
兵装: 各種口径の砲70門
性能諸元(1699年再建造)[2]
クラス: 3等戦列艦
全長: 砲列甲板:151ft 6in (46.2m)
全幅: 40ft 3in (12.3m)
喫水: 16ft 7in (5.1m)
機関: 帆走(3本マストシップ
兵装: 各種口径の砲70門
性能諸元(1724年再建造)[3]
クラス: 1719年規定3等戦列艦
全長: 砲列甲板:151ft (46.0m)
全幅: 41ft 6in (12.6m)
喫水: 17ft 4in (5.3m)
機関: 帆走(3本マストシップ
兵装: 70門:

上砲列:12ポンド(5kg)砲26門
下砲列:24ポンド(11kg)砲26門
後甲板:6ポンド(3kg)砲14門
艦首楼:6ポンド(3kg)砲4門

ケント (HMS Kent) はイギリス海軍の70門3等戦列艦ブラックウォール1679年に進水した。この名をもつイギリス軍艦としては2代目である。

ケントの輝かしい経歴は英蘭戦争バルフルール岬の海戦から始まった。ケントはフランススペイン、そして地中海での活動に対して4つの戦闘勲章を受けたが、これは歴代の「ケント」の中で最多である。1702年ビーゴ湾の海戦ではフランス・スペイン艦隊各17隻を一掃する決定的勝利に貢献し、1707年ジブラルタル防衛のために発生したマラガの海戦にも参加した。1718年にはジョージ・ビング提督のシチリア防衛艦隊の一員であった。ケントの最後の戦闘は1744年キューバ砲撃である[4]

ケントの最初の再建造はロザーハイス1699年に行われた。1722年2月16日には再々建造が発注され、完全に解体された後1719年の寸法規定に従って組みなおされた。再進水日は1724年9月19日である。2度の再建造を経た後もケントは70門艦であった[2]

ケントは1744年に解体された[3]

参加海戦

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脚注

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  1. ^ Lavery, Ships of the Line vol.1, p162.
  2. ^ a b Lavery, Ships of the Line vol.1, p166.
  3. ^ a b Lavery, Ships of the Line vol.1, p169.
  4. ^ History of HMS Kent”. 2008年8月4日閲覧。

参考文献

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  • Lavery, Brian (2003) The Ship of the Line - Volume 1: The development of the battlefleet 1650-1850. Conway Maritime Press. ISBN 0-85177-252-8.

関連項目

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