グタ・ハブスブルスカー
グタ・ハブスブルスカー(チェコ語: Guta Habsburská, 1271年3月13日 - 1297年6月18日)は、ボヘミア王[1]ヴァーツラフ2世の最初の王妃。ドイツ語名はグタ(またはユッタ、ユーディト)・フォン・ハプスブルク(Guta (Jutta, Judith) von Habsburg)。
グタ・ハブスブルスカー Guta Habsburská | |
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ボヘミア王妃 | |
グタ・ハブスブルスカー(14世紀) | |
在位 | 1278年 - 1397年 |
出生 |
1271年3月13日 神聖ローマ帝国、ラインフェルデン |
死去 |
1297年6月18日(26歳没) 神聖ローマ帝国 ボヘミア王国、プラハ |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ボヘミア王国、プラハ、聖ヴィート大聖堂 |
配偶者 | ボヘミア王ヴァーツラフ2世 |
子女 | |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | 神聖ローマ皇帝ルドルフ1世 |
母親 | ゲルトルート・フォン・ホーエンベルク |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
生涯
編集ローマ王ルドルフ1世と妃ゲルトルート・フォン・ホーエンベルクの六女として、帝国自由都市のラインフェルデンで生まれた。わずか5歳でヴァーツラフ2世と婚約した。ヴァーツラフ2世との間に夭折も含めて4男6女を儲けた。
- プシェミスル(1288年、夭折)
- ヴァーツラフ3世(1289年 - 1306年)
- アネシュカ(1290年、夭折)
- アンナ(1290年 - 1313年) - ケルンテン公兼ボヘミア王ハインリヒ6世の妃
- エリシュカ(1292年 - 1330年) - ボヘミア王兼ルクセンブルク伯ヨハンの妃
- グタ(1293年、夭折)
- ヤン(1294年、夭折)
- ヤン(1295年、夭折)
- マルケータ(1296年 - 1322年) - レグニツァ公ボレスワフ3世の妃
- グタ(1297年、夭折)
末子出産後に急死し、遺体は聖ヴィート大聖堂に埋葬された。