クロード・アヴリーヌ
クロード・アヴリーヌ(Claude Aveline, 1901年7月19日 - 1992年11月4日)は、フランスパリ出身の小説家、詩人、フランスのレジスタンスのメンバー。
クロード・アヴリーヌ | |
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ペンネーム | Evgen Avtsine、Minervois |
誕生 |
クロード・アヴリーヌ 1901年7月19日 フランス共和国 パリ |
死没 |
1992年11月4日(91歳没) フランス パリ |
職業 | 小説家、詩人 |
ジャンル | 小説、詩 |
署名 | |
ウィキポータル 文学 |
1937年にルイ・デリュック賞の審査員、1968年に開催される予定だった第21回カンヌ国際映画祭の審査員を務めた。
生涯
編集1901年7月19日、フランスのパリ5区にユダヤ系ロシア人であった両親の元に生まれる。両親はロシアでのユダヤ系に対する迫害ないし人種差別(ポグロム)から逃れるためにフランスへ移住していた[1]。
1905年にフランス国籍を家族全員で取得し、アヴリーヌはパリ5区のアンリ4世校 (en) に入学したが、途中両親がヴェルサイユに引越ししたため、同地のオッシュ校 (fr) に転校した。同校在学中の1915年、ボランティアで第一次世界大戦のメディックを務めた。その後さらに、パリ16区のジャンソン・ドゥ・サイイ校 (fr) で学んだ。同サイイ校在学中、健康を害したため勉学を中断し、1918年から1919年にかけて南仏カンヌ近郊ル・カネに移り住み、作家活動をする。
1919年、アヴリーヌの詩がマガジンに掲載され、フランスの詩人、小説家、批評家であるアナトール・フランスと友人になり、メンタリングとなった。
1920年にパリに戻り、1922年に自分自身の出版社を設立し[2]、フランスで最も若い出版社と呼ばれた[3]。
1923年、アヴリーヌが病気の療養中のためフォン=ロムー=オデイヨ=ヴィアにいた時、後に映画監督となるジャン・ヴィゴと親しくなる。
1929年に回想記『夜明け』を著し、1930年から1955年にかけて全三部作からなる大河小説『フィリップ・ドニの生涯』を著した。
1937年にルイ・デリュック賞の審査員を務める。
第二次世界大戦時にはフランスのレジスタンスに参加し、1952年にはイタリア賞を受賞した。
1968年に開催される予定だった[4]第21回カンヌ国際映画祭の審査員を務めた。
なお、日本に於けるアヴリーヌの著作はフランス文学者、翻訳家である三輪秀彦、河盛好蔵と俳人、詩人、評論家の安東次男により翻訳され、出版されている。
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小説
編集ミステリ長編(殺人課フレデリック・ブロ課長もの)
編集- ブロの二重の死 La Double Mort de Frédéric Belot (1932年)
- 七号車一五座席 Voiture 7 Place 15 (1937年)
- U路線の定期乗客 L'Abonné de la Ligne U (1947年)
- Le Jet d'Eau (1947年)
大河小説(フィリップ・ドニの生涯)
編集- マイヤール夫人 Madam Maillart (1930年)
- Les Amours et les Haines (1930年)
- Philippe (1955年)
児童小説
編集- 黒ちゃん 白ちゃん Baba Diéne et Morceau-de-Sucre (1937年)
脚注
編集- ^ Schoenbrun, David (1980). Soldiers of the night: the story of the French Resistance. Dutton
- ^ Fouché, Pascal (1983). Au sans pareil. Bibliothèque de littérature française contemporaine de l'Université Paris 7
- ^ ジョルジュ, デュアメル (1951). Chronique de Paris au temps des Pasquier. Union latine d'éditions
- ^ カンヌ国際映画祭粉砕事件が起きたため、中止となった。