クラウス・アウゲンターラー
ドイツのサッカー選手
クラウス・アウゲンターラー(Klaus Augenthaler、1957年9月26日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)出身のサッカー選手、サッカー指導者。愛称はアウゲ(Auge=ドイツ語で目の意味)。
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名前 | ||||||
愛称 | アウゲ | |||||
カタカナ | クラウス・アウゲンターラー | |||||
ラテン文字 | Klaus AUGENTHALER | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1957年9月26日(67歳) | |||||
出身地 | フュルステンツェル | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
代表歴 | ||||||
1983-1990 | 西ドイツ | 27 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集現役時代のポジションはディフェンダー。デビューから引退までバイエルン・ミュンヘンでクラブキャリアを全うした。1985年11月23日のリーグ戦で、ヴェルダー・ブレーメン戦において、ルディ・フェラーに対しての悪質なファールで、長期離脱の怪我を負わせ、ドイツ国内で大きな批判を浴びた[1]。
西ドイツ代表として2度のワールドカップ(1986年、1990年)に出場。1990年大会ではリベロとしてギド・ブッフバルト、ユルゲン・コーラーからなる屈強なストッパー陣を統率して堅守を築き、西ドイツの優勝に貢献した。
引退後は指導者として、ドイツ、オーストリアのクラブで監督を歴任しているが、好結果を残す事が出来ずにいる。
所属クラブ
編集- バイエルン・ミュンヘン 1976-1991
指導者歴
編集- バイエルン・ミュンヘン :アシスタントコーチ 1992-1997
- グラーツァーAK :監督 1997-2000
- 1.FCニュルンベルク :監督 2000-2003
- バイエル・レバークーゼン :監督 2003-2005
- VfLヴォルフスブルク :監督 2006-2007
- SpVggウンターハヒンク :監督 2010-2011
獲得タイトル(選手として)
編集- ドイツ・ブンデスリーガ 7回(1979-80, 1980-81, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1988-89, 1989-90)
- DFBポカール 3回(1981-82, 1983-84, 1985-86)
- DFLスーパーカップ 1985(非公式), 1986
脚注
編集- ^ “Rudi Völler, il tedesco volante: la Roma, la Champions col Marsiglia e i Mondiali del 1990”. GOAL (2022年4月13日). 2023年8月11日閲覧。