クイチャー
クイチャーは、沖縄県宮古島に伝わる民謡および踊り。人々が歌い踊りながら、輪になって手足を振り、声を合わせる。現在は「クイチャーフェスティバル」が開かれている。
歴史
編集語源は諸説あって定かでないが、一説に「くい(声)を合わせる(チャー)」とされる。楽器を使わず、「ニノヨイサッサ」のかけ声とともに円陣を組んで揃いの踊りを見せる。14世紀中頃、目黒盛豊見親(めぐろもり とよみや)が、宮古全島を統一した際に、機構の一つとして踊り部(ぶどりぶ)を制定したのが始まり。1701年の『宮古島旧記』には、1655年に琉球国王の前でクイチャーを踊ったとある[1]。
人頭税廃止のクイチャーが最も有名である。また、人頭税廃止100年を記念して2002年より、島の各集落に踊り継がれる伝統のクイチャーと、創作クイチャーを共演するイベントが毎年1回行われている。作曲家の松下耕は、宮古島狩俣地区のクイチャーや竹富島の「安里屋ユンタ」をモチーフとした合唱組曲『八重山・宮古の三つの島唄』を発表した。その中でも「狩俣ぬくいちゃ」は、台湾の学校や合唱団でもコンクールの自由曲に選ばれている。
クイチャーの例
編集人頭税廃止のクイチャー
編集- 「漲水のクイチャー」とも呼ばれる。
「保良(ぼら)真牛(まうす)沖縄(うき゜な)から 上り(ぬぶり)参(んみゃ)ばよ
ヤイヤヌ ヨイマーヌーユ 上り(ぬぶり)参(んみゃ)ばよ ニノヨイサッサイ ササ ハイ ハイ ハイ」[2]
現在は次の歌が歌われる。
- 漲水の舟着ぬ砂んなぐぬよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユ 砂んなぐぬよ ヒノヨイサッサイ(漲水港の船着き場の砂々よ)
- 粟んななり米んななり上りくばよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユ 上がりくばよ ヒノヨイサッサイ(粟となり米となり波のように打ち寄せてくれたら)
- 島皆ぬ三十原ぬ兄小たやよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 兄小たやよ ヒノヨイサッサイ(島々の三十村々の若者たちも)
- ピラとぅらだ カニや押さだゆからでぃだらよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー ゆからでぃだらよ ヒノヨイサッサイ(厳しい人頭税から解放され、幸せになれるのに)
- 大神グスフヂ 並び折波小がまぬよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 折波小ぬよ ヒノヨイサッサイ(大神島の浜辺に打ち寄せるさざ波よ)
- 糸んちゅなりかしんななり 上がりくばよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 上がりくばよ ヒノヨイサッサイ(機織の糸となって打ち寄せてくれたら)
- 島皆ぬ三十原ぬ 姉小たやよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 姉小たやよ ヒノヨイサッサイ(島々の三十村々の娘たちも)
- ぶやんうまだかしやかきだ ゆからでぃだらよ。ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー ゆからでぃだらよ ヒノヨイサッサイ(厳しい人頭税の宮古上布を紡がされずに、幸せになるのに)
※本節は分かり易くするために一部意訳をしています。
概要
編集人頭税廃止のニュースを保良村の真牛が港にもってきた。船着き場の砂は粟となり米となって上がってくるから、今や宮古の人々は人頭税から解き放たれたのだ。
- 人頭税廃止運動が成功して、税の廃止の知らせを携えて帰ってきた真牛などの人物を、歓喜でもって迎えた様子を表すクイチャーである。なお、税の廃止運動の詳細については中村十作を参照のこと。
豊年のクイチャー
編集「今年(くとぅす)から始(ぱず)ミャシヨー サーサー
弥勒(みるく)世(ゆ)ぬ なうらば 世や直(なお)れ サーサー
ヨーテイバー ヨーダキヨ サーサー 揃(する)イどう 美(かぎ)さぬ 世や直れ」
- 人頭税を納め、7日7夜を通して踊り遊ぶ宮古農民の歓喜を表したクイチャー。近年では「豊年の歌」とも呼ばれる。