ギャロウェイ伯爵(Earl of Galloway)は、スコットランド貴族伯爵位。1623年ステュアート王室の分流にあたるアレグザンダー・ステュアート英語版が叙位されたのに始まる。

ギャロウェイ伯爵
Earl of Galloway

紋章記述

Or, a fesse chequy azure and argent, surmounted of a bend engrailed gules, within a double tressure flory counterflory gules

創設時期1623年9月19日[1]
創設者ジェームズ1世(スコットランド王ジェームズ6世)
貴族スコットランド貴族
初代アレグザンダー・ステュアート英語版
現所有者アンドリュー・ステュアート (14代伯)
推定相続人アレクザンダー・ステュアート
相続資格初代伯の男系男子
付随称号ガーリーズ卿
ステュアート男爵
(コースウェル)準男爵
(バリー)準男爵
邸宅カムローデン・ハウス
旧邸宅ギャロウェイ・ハウス英語版
モットー傷を負うと勇気は強くなる
(Virescit vulnere virtus)

歴史

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スコットランド王室ステュアート王家の遠戚にあたり[1][注釈 1]、ガーリーズ (Garlies) の土地を所有するアレグザンダー・ステュアート英語版は、1607年7月19日にガーリーズ荘園を相続する男系男子への継承を定めたスコットランド貴族爵位のガーリーズ卿 (Lord Garlies) に叙位された。ついで1623年9月19日にはステュアート家の姓と紋章を受け継ぐ男系男子への継承を規定したスコットランド貴族ギャロウェイ伯爵に叙位された[2][3]

その次男ジェームズ・ステュアートは、襲爵前の1627年4月18日にノバスコシア準男爵位のコースウェルのステュアート準男爵に叙せられた。1649年に父が死去した際、兄とその息子がすでに死去していたことから、彼が第2代ギャロウェイ伯爵位を継承した[2]。しかしイングランド内戦期に王党派だった彼は1654年に罰金を科されている[4]

その曽孫にあたる第6代ギャロウェイ伯アレグアンダー・ステュアートは、1756年8月24日にノバスコシア準男爵位のバリーのステュアート準男爵を継承している(第4代準男爵)[2][5]。この準男爵位は初代ギャロウェイ伯の弟の息子アーチボルド・ステュアートが1687年11月4日に叙されたノバスコシア準男爵位であり、直系・非直系問わず、男子相続人を継承者とする継承方法をとる[6]。そのため3代準男爵サー・ジェームズ・ステュアートが死去した後、6代ギャロウェイ伯が継承することになったものである[2]

6代伯の息子である7代伯ジョン・ステュアート英語版は、襲爵前の1761年から1773年までトーリー党下院議員として活動し、1773年に襲爵した後、1774年から1790年までスコットランド貴族代表議員として上院議員に列した。1784年から1806年にかけて寝室侍従長英語版を務め、1796年6月6日にはグレートブリテン貴族爵位ウィグトン州におけるガーリーズのガーリーズのステュアート男爵 (Baron Stewart of Garlies, of Garlies in the County of Wigton) に叙位された[2][7]。そのためこれ以降の当主は、1999年の貴族院改革で世襲貴族の議席が制限されるまで自動的に貴族院議員に列するようになった。

7代伯の息子の8代伯ジョージ・ステュアート英語版は、王立海軍軍人であり、青色艦隊大将英語版まで昇進した。1806年に襲爵する前にはトーリー党の下院議員も務めた[2]

9代伯ランドルフ・ステュアート英語版も1834年に襲爵する前にトーリー党の下院議員だった[2]

10代伯アラン・プランタジネット・ステュアート英語版も1873年に襲爵するまで保守党の下院議員だった[2]

1901年に10代伯が死去した後、弟のランドルフ・ヘンリー・ステュアート英語版が11代伯を継承し、彼が1920年に死去した後、息子のランドルフ・アルジャーノン・ロナルド・ステュアート英語版が12代伯を継承。彼が1978年に死去した後、その息子のランドルフ・キース・レジナルド・ステュアート英語版が13代伯を継承した[2]

現在の当主は14代伯アンドリュー・クライド・ステュアートである。

 
旧邸宅ギャロウェイ・ハウス英語版

1740年代から1908年までウィグタウンシャー英語版ガーリエストン英語版ギャロウェイ・ハウス英語版を本邸とした。現在はダンフリーズ・アンド・ガロウェイニュートン・ステュアート英語版に近いカムローデン・ハウス (Cumloden House) を本邸とする。

現当主の保有爵位/準男爵位

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  • 第13代ギャロウェイ伯爵 (13th Earl of Galloway)
    (1623年9月19日勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第13代ガーリーズ卿 (13th Lord Garlies)
    (1607年7月19日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • ウィグトン州におけるガーリーズのガーリーズの第7代ステュアート男爵 (7th Baron Stewart of Garlies, of Garlies in the County of Wigton)
    (1796年6月6日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • (コースウェルの)第12代準男爵 (12th Baronet, "of Corsewell")
    (1627年4月18日の勅許状によるノバスコシア準男爵)
  • (バリーの)第10代準男爵 (10th Baronet, "of Burray")
    (1687年11月4日の勅許状によるノバスコシア準男爵)

ギャロウェイ伯 (1623年)

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バリーのステュアート準男爵 (1687年)

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脚注

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注釈

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  1. ^ ギャロウェイ伯爵ステュアート家は、ステュアート朝の開祖ロバート2世の曾祖父にあたる第4代王室執事長英語版アレグザンダー・ステュアート英語版の次男ボンキルのジョン・ステュアート英語版の系譜である。

出典

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  1. ^ a b Balfour Paul, James (1907). The Scots Peerage. Edinburgh. p. 172. https://archive.org/stream/scotspeeragefoun04pauluoft#page/172/mode/2up 25 February 2016閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i Heraldic Media Limited. “Galloway, Earl of (S, 1623)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年11月23日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Stewart, 1st Earl of Galloway” (英語). thepeerage.com. 2019年11月23日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “James Stewart, 2nd Earl of Galloway” (英語). thepeerage.com. 2019年11月23日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Stewart, 6th Earl of Galloway” (英語). thepeerage.com. 2019年11月23日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Sir Archibald Stewart of Burray, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2019年11月23日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Stewart, 6th Earl of Galloway” (英語). thepeerage.com. 2019年11月23日閲覧。

関連項目

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