キップ・リー・グロスKip Lee Gross, 1964年8月24日 - )は、アメリカ合衆国ネブラスカ州スコッツブラフ英語版出身の元プロ野球選手投手)。

キップ・グロス
Kip Gross
大学時代
(1986年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ネブラスカ州スコッツブラフ英語版
生年月日 (1964-08-24) 1964年8月24日(60歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1986年 MLBドラフト4巡目
初出場 MLB / 1990年4月21日
NPB / 1994年5月26日
最終出場 MLB / 2000年5月29日
NPB / 1998年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

経歴

編集

1986年MLBドラフト4巡目(全体102位)でニューヨーク・メッツから指名され、入団。

1989年12月にジョン・フランコとマイナー選手1名とのトレードでランディ・マイヤーズとともにシンシナティ・レッズに移籍した[1]

1990年にメジャー初登板。

1991年には6勝を挙げキャリア唯一の完投勝利も記録している[1]

1992年からはロサンゼルス・ドジャースでプレー。

1994年は開幕早々に解雇となったフランク・カンポスの代わりに、シーズン途中に日本ハムファイターズに入団。[2]。入団時に年俸は5000万円だった[2]。5月26日の千葉ロッテマリーンズ戦でNPB初登板した。6月14日の福岡ダイエーホークス戦でNPB初勝利を記録した。この年は6勝12敗、防御率4.29と振るわなかったが、中4日での登板の多さや完投能力を評価され残留となった。

1995年オープン戦で、同年からロッテに加入した元チームメイトのエリック・ヒルマンと再会し、その時にチェンジアップの握りを教わるとその結果成績が向上し、16勝を挙げパ・リーグ最多勝利のタイトルを獲得した[2]。なお13敗はこの年のリーグ最多敗戦であり、最多勝と最多敗戦の同時記録は1981年の今井雄太郎以来で外国人としては初の記録であった。

1996年も17勝を挙げ、2年連続でパ・リーグ最多勝利のタイトルを獲得した[2]。防御率も3点台で安定し、当時のパ・リーグを代表する投手となった。またこの年のオールスターゲームに出場し、第1戦で勝利投手となっている。オールスターにはヒルマンも出場し、グランド整備の時のパフォーマンスタイムでは二人もパフォーマンスに参加した。1995年に近鉄バファローズから移籍してきた山下和彦との相性が良く、1996年はグロスの先発時には、ほぼ山下がマスクを被っていた。

1997年にも13勝を挙げ、3年連続2桁勝利に到達した。シーズン途中の8月12日に酔っ払いに捕まり、右の肋骨を折るアクシデントに見舞われていたが、29日に勝利を記録するまで骨折を隠しながら投げていた[3]

1998年、シーズン前に故障のため一時帰国し手術。その後チームに戻って終盤に3勝を挙げたが、シーズン終了後に解雇された。

その後は1999年ボストン・レッドソックスでメジャー復帰を果たし[1]2001年限りで現役を引退した。

現役引退後は2010年に独立リーグであるゴールデンベースボールリーグヴィクトリア・シールズ英語版で監督を務めた。

選手としての特徴

編集

日本ハム在籍当時はイチローが所属していたこともあり、オリックス・ブルーウェーブ戦にめっぽう弱く、チームのエースにもかかわらず対オリックス0勝のシーズンもあった。

詳細情報

編集

年度別投手成績

編集




















































W
H
I
P
1990 CIN 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 6.1 6 0 2 0 0 3 0 0 3 3 4.26 1.26
1991 29 9 1 0 0 6 4 0 -- .600 381 85.2 93 8 40 2 0 40 5 1 43 33 3.47 1.55
1992 LAD 16 1 0 0 0 1 1 0 -- .500 109 23.2 32 1 10 1 0 14 1 1 14 11 4.18 1.77
1993 10 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 59 15.0 13 0 4 0 0 12 0 0 1 1 0.60 1.13
1994 日本ハム 25 21 7 0 1 6 12 0 -- .333 641 149.0 169 14 56 4 2 62 11 1 74 71 4.29 1.51
1995 31 31 15 5 4 16 13 0 -- .552 952 231.0 219 12 59 2 12 114 3 0 92 78 3.04 1.20
1996 28 28 8 1 0 17 9 0 -- .654 827 193.2 201 18 53 3 9 79 9 1 92 78 3.62 1.31
1997 33 33 8 3 0 13 11 0 -- .542 975 233.1 235 18 69 10 9 98 9 0 103 94 3.63 1.30
1998 7 7 1 0 0 3 4 0 -- .429 154 36.1 30 1 15 0 4 11 0 3 18 16 3.96 1.24
1999 BOS 11 1 0 0 0 0 2 0 0 .000 64 12.2 15 3 8 2 3 9 1 0 11 11 7.82 1.82
2000 HOU 2 1 0 0 0 0 1 0 1 .000 23 4.1 9 2 2 0 0 3 0 0 8 5 10.38 2.54
MLB:6年 73 12 1 0 0 7 8 0 1 .467 661 147.2 168 14 66 5 3 81 7 2 80 64 3.90 1.58
NPB:5年 124 120 39 9 5 55 49 0 -- .529 3549 843.1 854 63 252 19 36 364 32 5 379 337 3.60 1.31
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

編集
NPB
  • 最多勝利:2回 (1995年、1996年)
    • パシフィック・リーグ初の外国人投手最多勝利(1995年):外国人投手の最多勝利は、1964年のジーン・バッキー以来31年ぶり
    • 外国人投手初の2年連続最多勝利(1995年・1996年):2リーグ制導入以降、外国人投手の2年連続最多勝利はパ・リーグではグロスのみ(セ・リーグでは2007年・2008年にセス・グライシンガーが2年連続最多勝)

表彰

編集
NPB

記録

編集
NPB初記録
NPBその他の記録

背番号

編集
  • 59 (1990年 - 1991年)
  • 36 (1991年)
  • 57 (1992年 - 1993年)
  • 60 (1994年 - 1998年)
  • 27 (1999年)
  • 56 (2000年)

脚注

編集
  1. ^ a b c MARK McCARTHY (2020年5月5日). “Gering native Kip Gross has lived a life of baseball”. Star-Herald. 2021年7月10日閲覧。
  2. ^ a b c d 年俸80万円のテスト生から最多勝投手へ 思わぬ掘り出し物だった「助っ人列伝」”. デイリー新潮 (January 26, 2022). January 26, 2022閲覧。
  3. ^ 週刊ベースボール別冊 よみがえる1990年代のプロ野球 [Part.4] 1997年編 野村ヤクルト日本一 ベースボール・マガジン社.2021年.P84

関連項目

編集

外部リンク

編集