カーヴド・エア
カーヴド・エア(Curved Air)は、1970年代前半に活動したイングランドのプログレッシブ・ロック・バンド。
カーヴド・エア Curved Air | |
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ロンドン公演(2018年) | |
基本情報 | |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル | |
公式サイト | Curved Air |
メンバー |
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旧メンバー |
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女性ボーカリストとヴァイオリニストを含む編成が特徴で、後にロキシー・ミュージックやUKで活動するエディ・ジョブソン、ポリスを結成するスチュワート・コープランドが在籍した。その後、幾度か再結成している。
来歴
編集デビュー前
編集フロリアン・ピルキントン・ミクサ、ロブ・マーティン、王立音楽アカデミーの学生だったフランシス・モンクマンが組んでいたアマチュア・バンドに、王立音楽大学でヴァイオリンを学んでいたダリル・ウェイが加わる。当初はシシファス(Sisyphus)と名乗っていたが、テリー・ライリーの楽曲「レインボー・イン・カーヴド・エア」に因んでカーヴド・エアと改名した[2]。
1970年、ミュージカル『ヘアー』の音楽で知られるガルト・マクダーモットが手掛けたミュージカル"Who the Murder Was"の演奏に参加し、その後、ソーニャ・クリスティーナを迎えた。彼女は『ヘアー』のオリジナル・ロンドン・キャストの一員だった[3]。
デビュー - 1972年
編集1970年、イギリスのバンドでは初めてワーナー・ブラザース・レコードと契約した[2]。その後マーティンが脱退するというトラブルに見舞われたものの、11月にデビュー・アルバム『エア・コンディショニング』を発表。全英8位という成功を収める[4]。同作はデビュー・シングル「今日突然に(It Happened Today)」や、ウェイのテクニックを生かしたインストゥルメンタル「ヴィヴァルディ(Vivaldi)」といった代表曲を収録。
2作目『セカンド・アルバム』(1971年)は全英11位に達し、シングル「バック・ストリート・ラヴ(Back Street Luv)」も全英4位のヒットとなった[4][注釈 1]。3作目『ファンタスマゴリア -ある幻想的な風景-』(1972年)は、後にクリスティーナがソロ・アルバム"Songs from the Acid Folk"(1991年)で取り上げたフォーク・ナンバー「メリンダ(Melinda (More or Less))」や、モンクマンが主導権を握った前衛的な楽曲「前にいるのは誰(Whose Shoulder Are You Looking over Anyway?)」を含む多彩な内容で、全英20位に達した[4]。しかし同作の発表に伴うツアーの途中でモンクマンが脱退。後任にカービー・グレゴリーが加入するが、続いてウェイとピルキントン・ミクサも脱退[注釈 2]。クリスティーナたちはエディ・ジョブソンとジム・ラッセルを迎えてツアーの残りを消化する[5]。
1973年 - 解散
編集クリスティーナとマイク・ウェッジウッド(ベース)の2人に、前述のツアーの途中で加入したグレゴリー、ジョブソン、ラッセルを加えた新編成で『エア・カット』(1973年)発表[注釈 3]。この頃のアウトテイクは、後に編集盤『ラヴ・チャイルド』(1990年)として発表された。その後、一度解散状態となり、ジョブソンはブライアン・イーノの後任としてロキシー・ミュージックに加入。クリスティーナは再び『ヘアー』に出演した。
1974年、オリジナル・メンバーのウェイ、モンクマン、ピルキントン・ミクサが復帰し、新たにフィル・コーン(ベース)を迎えて、11月からツアーを開始。12月5日のカーディフ公演と6日のブリストル公演での演奏を収録したライブ・アルバム『ライヴ』(1975年)を、BTMレコード[注釈 4]から発表した[注釈 5]。クリスティーナはボーカル・スタイルをアグレッシヴに変化させ、「バック・ストリート・ラヴ」のサビをオリジナルより1オクターヴ高く歌った。
その後、クリスティーナとウェイ以外のメンバーは脱退[注釈 6]。残った二人は、スチュワート・コープランド[6]らを迎えて『ミッドナイト・ワイアー』(1975年)、『エアボーン』(1976年)を発表した[注釈 7]。その後、ウェイも脱退してアレックス・リッチマン(キーボード)が加入するが、新編成での音源発表はなく、1976年12月には解散した[注釈 8]。
その後
編集1990年、ピルキントン・ミクサ、マーティン[注釈 9]、モンクマン、ウェイ、クリスティーナのオリジナル・メンバー5人が再び揃い、ライブ活動を行う。9月23日の演奏は、2000年に『アライヴ1990』として発表された。
2007年、再々結成の話が持ち上がるが、クリスティーナが当時マーヴィン・エアーズとMASK[7]を結成して活動していたため、一旦延期となる[8]。そして2008年、クリスティーナ、ウェイ、ピルキントン・ミクサの3人と、アンディ・クリスティ(ギター)、クリス・ハリス(ベース)の2人の新メンバーで再々結成。昔の曲の再録音版と新曲2曲を収録した32年ぶりのスタジオ・アルバム『リボーン』を発表。2009年1月16日と17日には、CLUB CITTA'で初の日本公演を行なう[9]。
その後、ウェイが再度の脱退をし、後任にジョブソンが加入してツアーに参加したが直ぐに脱退。2009年後半以降は、クリスティーナとピルキントン・ミクサの二人に新メンバーを入れての6人編成で活動を継続していたが、2017年にピルキントン・ミクサが降板しオリジナル・メンバーはクリスティーナだけになる。
メンバー
編集現ラインナップ(2021年5月時点)
編集- ソーニャ・クリスティーナ (Sonja Kristina) - ボーカル (1970年–1976年、1984年、1988年、1990年、2008年–)
- 全作に参加。
- カービー・グレゴリー (Kirby Gregory) - ギター (1972年–1973年、2013年–2016年、2019年–)
- 『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』に参加。
- クリス・ハリス (Chris Harris) - ベース (2008年–)
- 『リボーン』以降の作品に参加。
- ロバート・ノートン (Robert Norton) – キーボード (2009年–)
- アンディ・トゥィーン (Andy Tween) – ドラムス (2017年–)
- グレッグ(グジェゴシュ)・ガジオムスキー (Grzegorz "Greg" Gadziomski) – ヴァイオリン (2019年–)
旧メンバー
編集- ダリル・ウェイ (Darryl Way) - ヴァイオリン、キーボード (1970年–1972年、1974年–1976年、1984年、1988年、1990年、2008年–2009年)
- 『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』、2010年以降の作品を除く全作に参加。
- フランシス・モンクマン (Francis Monkman) - ギター、オルガン、シンセサイザー (1970年–1972年、1974年、1990年)
- 初期3作品、『ライヴ』『アライヴ1990』に参加。
- ロブ・マーティン (Rob Martin) - ベース (1970年、1990年スポット参加)
- 『エア・コンディショニング』制作後に脱退。『アライヴ1990』にゲスト参加。
- フロリアン・ピルキントン・ミクサ (Florian Pilkington-Miksa) - ドラムス (1970年–1972年、1974年、1990年、2008年–2017年)
- 初期3作品、『ライヴ』『アライヴ1990』『リボーン』に参加。
- イアン・アイアー (Ian Eyre) - ベース (1970年–1971年)
- 『セカンド・アルバム』に参加。
- マイク・ウェッジウッド (Mike Wedgwood) - ベース (1971年–1973年)
- 『ファンタスマゴリア-ある幻想的な風景-』『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』に参加。
- エディ・ジョブソン (Eddie Jobson) - ヴァイオリン、キーボード (1972年–1973年、2009年スポット参加)
- 『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』に参加。
- ジム・ラッセル (Jim Russell) - ドラムス (1972年–1973年)
- 『エア・カット』『ラヴ・チャイルド』に参加。
- フィル・コーン (Phil Kohn) - ベース (1974年–1975年)
- 『ライヴ』に参加。
- スチュワート・コープランド (Stewart Copeland) - ドラムス (1975年–1976年)
- 『ミッドナイト・ワイアー』『エアボーン』に参加。
- ミック・ジャック (Mick Jacques) - ギター (1975年–1976年)
- 『ミッドナイト・ワイアー』『エアボーン』に参加。
- ジョン・G・ペリー (John G. Perry) - ベース (1975年)
- 『ミッドナイト・ワイアー』にゲスト参加。
- トニー・リーヴス (Tony Reeves) - ベース (1975年–1976年)
- アレックス・リッチマン (Alex Richman) - キーボード (1976年)
- 1976年後半のライブのみ参加。
- アンディ・クリスティ (Andy Christie) - ギター (2008年–2009年)
- 『リボーン』に参加。
- キット・モーガン (Kit Morgan) - ギター (2009年–2013年、2016年-2018年)
- ポール・サックス (Paul Sax) – ヴァイオリン (2009年–2019年)
- ジョージ・ハドソン (George Hudson) - ギター (2018年-2019年)
ディスコグラフィ
編集スタジオ・アルバム
編集- 『エア・コンディショニング』 - Airconditioning (1970年)
- 『セカンド・アルバム』 - Second Album (1971年)
- 『ファンタスマゴリア -ある幻想的な風景-』 - Phantasmagoria (1972年)
- 『エア・カット』 - Air Cut (1973年)
- 『ミッドナイト・ワイアー』 - Midnight Wire (1975年)
- 『エアボーン』 - Airborne (1976年) ※旧邦題『空中漂流』
- 『ノース・スター』 - North Star (2014年)
ライブ・アルバム
編集- 『ライヴ』 - Curved Air – Live (1975年)
- 『ライヴ・イン・コンサート』 - Live at the BBC (1995年) ※BBCでのスタジオ・ライブのアーカイヴ。録音は1970年、1971年、1976年。後に『エア・ウェイヴス - ライヴ'70S』 (Air Waves)のタイトルで再発。
- 『アライヴ1990』 - Alive, 1990 (2000年)
- 『リボーン』 - Reborn (2008年) ※スタジオ録音の新曲を含む。
- 『ライヴ・アトモスフィア』 - Live Atmosphere (2012年)
コンピレーション・アルバム
編集- 『ラヴ・チャイルド』 - Lovechild (1990年) ※1973年録音のアウトテイク集
- 『ベスト・オブ・カーヴド・エア』 - Retrospective (2010年) ※ベスト・アルバム
脚注
編集注釈
編集- ^ 収録曲「ユー・ノウ(You Know)」は後にカテドラルが日本企画のミニ・アルバム『ホプキンス』でカヴァーした。
- ^ ウェイは、ジョン・エサリッジ(後にソフト・マシーン)やイアン・モズレイ(後にマリリオン)と共にダリル・ウェイズ・ウルフを結成した。
- ^ 同作は、カーヴド・エアの作品の中では唯一、CD化が2000年代にまで遅れ、長い間廃盤となっていた。
- ^ マイルス・コープランド3世が設立した。
- ^ 配給はデラム。
- ^ モンクマンはフィル・マンザネラらと共演。
- ^ コープランドはカリフォルニア州での学生生活を終えようとしていた1975年、ロンドンで音楽マネージメントに携わっていた長兄のマイルス・コープランド3世から、ウェイが新しいバンドのドラマーを探していることを聞いた。彼はロンドンに渡ってウェイらに合流したが、ウェイやカーヴド・エアの他のオリジナル・メンバーが税金対策の為に急遽再結成ツアーを行なうことになったので、そのツアー・マネージャーを務めることになった。ツアーが終了するとウェイとクリステイーナがカーヴド・エアに残り、彼とギタリストのミック・ジャックスをメンバーに迎えて活動を継続することになった。彼等は、マイルスが設立したBTMレコードから2作のアルバムを発表した。
- ^ クリスティーナは1980年にソロ・デビュー。コープランドは1977年にポリスを結成して成功を収める。二人は1982年に結婚したが、1991年に離婚した。
- ^ ゲストとしての参加。
出典
編集- ^ a b Thompson, Dave. Curved Air | Biography & History - オールミュージック. 2021年5月29日閲覧。
- ^ a b Curved Air - Music Biography, Credits and Discography : AllMusic - Biography by Dave Thompson
- ^ Various - Hair - Original Cast Recording Of London Production (Vinyl, LP) at Discogs
- ^ a b c ChartArchive-Curved Air-
- ^ 『セカンド・アルバム』日本盤CD(WPCP-4223)ライナーノーツ(伊藤秀世、1991年3月)
- ^ Stewart, Copeland (2009). Strange Things Happen: A Life With The Police, Polo And Pygmies. London: HarperCollins. pp. 27-32. ISBN 978-0-00-733940-2
- ^ “Discogs”. 2024年8月16日閲覧。
- ^ 『BURRN!』2009年2月号p.45
- ^ CURVED AIR JAPAN TOUR 2009
- ^ “カーヴド・エアのオリジナル・ドラマー、フロリアン・ピルキントン・ミクサが死去”. amass (2021年5月27日). 2021年5月29日閲覧。