カーリー・ムーア
カーリー・ムーア (Curley Moore, 1943年 – 1985年12月14日)は、米国のR&Bシンガー[1]。
カーリー・ムーア Curley Moore | |
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出生名 | June "Curley" Moore |
別名 | Curly |
生誕 |
1943年 アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ |
死没 |
1985年12月14日(42歳没) アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ |
ジャンル | R&B |
職業 | シンガー、ソングライター |
活動期間 | 1960年 - 1985年 |
レーベル | ティーム、エイス、ノーラ、 ホットライン、サンスー、インスタント、スクラム、ハウス・オブ・ザ・フォックス、ロックスベリー |
共同作業者 | ヒューイ・"ピアノ"・スミス・アンド・ザ・クラウンズ、アラン・トゥーサン |
来歴
編集ムーアは1943年、ニューオーリンズに生まれた。まだ幼い頃から彼は、近所のストリートで歌い、ダンスをして日銭を稼いでいた。彼はまたニュー・ホープ・バプティスト教会のクワイアに参加して歌っていた。12歳になると、彼と彼の友人たちはブルー・ジェイズというグループを結成し、タレント・コンテストに出場した。ムーアは歌うきっかけを作ったアーティストとしてフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズ、そして歌うカウボーイとして知られたロイ・ロジャースを挙げている。また後になって、影響を受けた人として挙げているのは、ジーン・アリソン、アーマ・トーマス、アーニー・ケイドー、シャーリー&リー、 ジャッキー・ウィルソンなどがいる[2]。
ムーアは、自身の音楽のキャリアを1960年、ヒューイ・"ピアノ"・スミスのクラウンズのメンバとして、ニューオーリンズでスタートさせている[3]。ヒューイ・スミスとクラウンズとの3年間に渡る活動を経て、彼はソロに転じた[2]
ムーアは、1960年代半ばにニューオーリンズの音楽シーンが苦難の時期を迎えると、中西部にツアーに出てマーヴィン・ゲイの物まねをやることで収入を得た[4]。またムーアは1960年代に、自己名義でいくつかのローカル・ヒットを記録している[3]。彼のソロとしての初のレコーディングは1963年、ティーム・レコードのシングル"They Gonna Do What They Wanna Do" b/w "Tried So Hard"だった。1965年から66年にかけてムーアは、Nolaレコードにレコーディングを行っている。アール・キングとワーデル・カゼアが書いた"Soul Train"はヒットとなっている。このヒットにより、彼はカーリー・"ソウル・トレイン"・ムーアとのニックネームで呼ばれるようになった[2]。1966年から1968年にかけて、彼はアラン・トゥーサンとマーシャル・シホーンのサンスー・レコードへのレコーディングを行っている。サンスーは"Get Low Down Pt. 1" b/w "Get Low Down Pt. 2", "Goodbye" b/w "We Remember", and "Don't Pity Me" b/w "You Don't Mean"とカーリー・ムーアのシングルを3枚リリースした[5]。歌うこと以外にムーアは、ギター、オルガン、ピアノ、ドラムスをプレイすることができた[2]。
1970年代になると、ニューオーリンズR&B、そしてソウルミュージックはよりハードなファンク・サウンドを目指すようになり、ムーアにとってこれは逆境となった。彼は、麻薬、そして銃にまつわる問題を起こすようになっていった。
ハウス・オヴ・ザ・フォックス・レーベルよりシングル盤"Funky, Yeah"でハード路線のインストゥルメンタルを試みており、これはそのヘヴィなサイケデリック・サウンドでカルト的な名作として知られるようになった。1979年には、ムーアはヒューイ・"ピアノ"・スミス・アンド・ザ・クラウンズの再結成に参加し、ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルで公演を行っている[3]。
1980年代初頭に一時期服役を経験したのち、1985年12月、ムーアはニューオーリンズのアルジアーズ地区で他殺体で発見された。42歳だった[6][4]。
ディスコグラフィ
編集シングル
編集年 | 曲名 | レーベル |
1963年 | "They Gonna Do What They Wanna Do"
b/w "I Tried So Hard" |
Teem 1002 |
1964年 | "At The Mardi Gras"
b/w "The Second Line" |
Ace 671 |
1964年 | "Soul Train"
b/w "Please Do Something for Me" |
Nola 707 |
1965年 | "Soul Train"
b/w "This Way I Do" |
Hot Line 901 |
1966年 | "Get Low Down (Pt. 1)"
b/w "Get Low Down (Pt. 2)" |
Sansu 457 |
1967年 | "Goodbye"
b/w "We Remember" |
Sansu 468 |
1967年 | "Don’t Pity Me"
b/w "You Don’t Mean" |
Sansu 473 |
1968年 | "Sophisticated Sissy (Pt. 1)"
b/w "Sophisticated Sissy (Pt. 2)" |
Instant 11 -2635 |
1970年 | "Back In Mother’s Arms"
b/w "Not Just You" |
Scram 120 |
1971年 | "Shelley’s Rubber Band"
b/w "Funky, Yeah" |
House Of The Fox MH-1934 |
1975年 | "Lil Sally Walker (Pt. 1) "
b/w "Lil Sally Walker (Pt. 2)" |
Roxbury RB 2014 |
編集盤
編集年 | 曲名 | レーベル |
1999年 | 『Huey "Piano" Smith – That'll Get It (Even More Of The Best)』
エイス・レコード音源3曲を収録 |
Westside – WESM 595 |
2001年 | 『Get Low Down!: The Soul of New Orleans, '65-'67』
未発表を含むサンスー音源6曲を収録 |
Sundazed Music – SC 11094 |
[5]。
参考文献
編集- ジョン・ワート『ニューオーリンズR&Bをつくった男 ヒューイ・“ピアノ”・スミス伝』陶守正寛訳、DU BOOKS、2022年11月
脚注
編集- ^ “June "Curley" Moore obituary”. Times-Picayune. (December 27, 1985)
- ^ a b c d Bernholm, Jonas (1968). Soul Music Odyssey USA 1968. York University Libraries Toronto. ISBN 9781773550381
- ^ a b c "Curley Moore, Ex-Clown, Dies In New Orleans", Wavelength, February 1986, p.5
- ^ a b Wirt, John (2014). Huey "Piano" Smith and the Rocking Pneumonia Blues. Louisiana State University Press. ISBN 978-0-8071-5295-9
- ^ a b McGrath, Bob (2019) (英語). Soul Discography. Eyeball Productions. ISBN 978-0986641701
- ^ White, Cliff, "Sehorn's Soul Farm LP", Charley Records, London, England, Liner Notes, 1981