迦多衍尼子(かたえんにし、: Kātyāyanī-putra[2]、カーティヤーヤニープトラ)は、インドバラモン貴族階級出身の仏教である[1]迦旃延(カッチャーナ)に由来して命名され、剪剃女子、剪剃種、剪剔種、文飾、好肩、肩繩などと譯される[1]説一切有部に属していた。

かたえんにし
迦多衍尼子 (Kātyāyanī-putra)
宗派 説一切有部
著作 阿毘達磨発智論[1]
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活動時期は不詳。『異部宗輪論』、『三論玄義』、『大唐西域記』などの記述からは約紀元前2世紀に活躍したとされるが、それよりやや時代は下るとされる[2]。大唐西域記によれば仏滅後三百年中ごろの生とされる[1]

著作

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説一切有部の根本論書である『阿毘達磨発智論』二十巻を著わした[1]。『大唐西域記』では、北インドのチーナブクティ国〈那僕底; Cīnabhukti〉にて執筆されたという。[2][1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f 望月信亨『望月仏教大辞典』第1巻 (アーケ)』世界聖典刊行協会、1954年、カタエンニシ。doi:10.11501/3000331 
  2. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)『迦多衍尼子』 - コトバンク

関連項目

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