カン・ジェギュ
カン・ジェギュ(1962年11月27日[1] - )は韓国の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。
カン・ジェギュ 강제규 | |
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2015年 | |
生年月日 | 1962年11月27日(62歳) |
出生地 | 韓国慶尚南道(キョンサンナムド)馬山(マサン)[1] |
国籍 | 韓国 |
職業 | 映画監督 |
活動期間 | 1996年[1] - |
主な作品 | |
『シュリ』 『ブラザーフッド』 |
カン・ジェギュ | |
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各種表記 | |
ハングル: | 강제규 |
漢字: | 姜帝圭[2] |
発音: | カン・ジェギュ |
ローマ字: | Gang Je-gyu |
英語表記: | Kang Je-kyu[2] |
略歴
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主な作品
編集- 銀杏のベッド(1996)監督・脚本
- 地上満歌(1997)脚本
- シュリ(1999)監督・脚本
- 燃ゆる月(2000)プロデューサー
- SSU(2002)エグゼクティブプロデューサー
- ブラザーフッド(2004)監督・脚本
- IRIS -アイリス-(2009)企画
- マイウェイ 12,000キロの真実(2011)監督
- チャンス商会〜初恋を探して〜(2015)監督
- ボストン1947 (2023) 監督・脚本
エピソード
編集- 芸能ジャーナリストの麻生香太郎は、2005年に韓国でカンと会食した時、「日本人である私たちは、いつまで(過去の戦争にまつわることに関して)謝り続ければ、韓国の人たちは許してくれるのですか?」と質問したという。これに対してカンは、「ボクたち若い世代は、現代の日本の人たちに何の悪感情も抱いていません。友達も多いし、みないい人たちばかりだと思います。ただ韓国は儒教の国です。年長の人には無条件で従うのが美徳とされています。韓国の年寄りには、戦争中、痛めつけられた記憶に苦しむ人もまだ多いのです。彼らは朝鮮語を禁じられ、日本語の教科書で勉強させられ、神社や鳥居を建てた場所で信仰を強制させられました。そんな祖父、祖母たちが『日本の過去の過ちを許してはならない』というのです。私たちはその教えを守り、実践しなければ、親孝行とはいえません。親孝行こそが儒教の根本の教えだからです。その辺をどうかご理解ください」と答えたという。[5]
脚注
編集- ^ a b 강제규 (カン・ジェギュ) KMDb 2011年8月22日閲覧。
- ^ “스카이데일리, 강수연·강호동 연예인 알부자 ‘무적 대장군 후예’”. www.skyedaily.com (2016年9月8日). 2022年11月14日閲覧。
- ^ “남정욱의 演藝, 人 ① 한국의 ‘현대’ 영화를 발굴한 강제규 감독” (朝鮮語). monthly.chosun.com (2015年1月28日). 2022年11月14日閲覧。
- ^ 『誰がJ-POPを救えるか?』麻生香太郎:著、朝日新聞出版、p43