カロリーネ・マリアンネ・ツー・メクレンブルク
カロリーネ・シャルロッテ・マリアンネ・ツー・メクレンブルク(Caroline Charlotte Marianne Herzogin zu Mecklenburg[-Strelitz], 1821年1月10日 - 1876年6月1日)は、ドイツのメクレンブルク=シュトレーリッツ大公家の一員で、デンマーク王フレゼリク7世の2番目の妃。夫の即位以前に離婚し、王妃にはなれなかった。
カロリーネ・マリアンネ・ツー・メクレンブルク Caroline Marianne zu Mecklenburg | |
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デンマーク王太子妃 | |
出生 |
1821年1月10日 メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国、ノイシュトレーリッツ |
死去 |
1876年6月1日(55歳没) メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国、ノイシュトレーリッツ |
埋葬 |
1876年6月7日 メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国、ミロー城教会 |
配偶者 | 後のデンマーク王フレゼリク7世 |
家名 | メクレンブルク=シュトレーリッツ家 |
父親 | メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルク |
母親 | マリー・フォン・ヘッセン=カッセル |
生涯
編集メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルクとその妻でヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯フリードリヒ(3世)の娘であるマリーの間の第3子、次女として生まれた。1841年6月10日にノイシュトレーリッツにおいて、デンマーク王太子フレゼリクと結婚した。フレゼリクは同族のヴィルヘルミーネ王女と離婚しており、この結婚は再婚だった。
粗暴で酒好き、かつ女たらしの夫との結婚生活は悲惨というほかなく、夫婦の間に子供が授かることも無かった。カロリーネ・マリアンネは1844年に実家を訪れた際、デンマークへの帰国を拒否して、1846年には離婚を成立させた。その後はノイシュトレーリッツの宮廷で静かに暮らした。
参考文献
編集- Bo Bramsen : Ferdinand og Caroline, Politikens Förlag, Köpenhamn (1969)