カルヴィン・ボレルCalvin H. Borel 1966年11月7日 - )は、アメリカ合衆国・中央部(ケンタッキー州など)を拠点に騎乗している騎手である。出生地はアメリカ合衆国・ルイジアナ州セントマーティンパリッシュで、現在はケンタッキー州ルイビル在住。兄のセシル・ボレル調教師。名はカルビンと表記される場合もある。

カルヴィン・ボレル(2007年5月)

来歴

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8歳頃にルイジアナ州で初めて馬に騎乗してその際に将来騎手になることを決意し、その後1982年に16歳で騎手デビューした。

2006年ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルストリートセンスに騎乗して制し、ブリーダーズカップ初勝利を挙げた。

2007年ケンタッキーダービーをストリートセンスに騎乗して制し、アメリカクラシック三冠競走初勝利を挙げた。

2009年ケンタッキーオークスレイチェルアレクサンドラで、ケンタッキーダービーをマインザットバードで制し、史上7人目の同一年オークス・ダービー制覇を達成した。また、レイチェルアレクサンドラでプリークネスステークスも制したが、同一年の二冠を異なる馬で制したのは史上初となる。同年の中央競馬ワールドスーパージョッキーズシリーズに招待され、初来日した。

2010年、ケンタッキーダービーをスーパーセイヴァーに騎乗して2年連続で制す。

2016年3月30日、エージェントを務めるL.メランコンにより騎手を引退することが明らかになる[1]。しかし、同年8月に現役復帰することになった。

主な騎乗馬

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不祥事

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ボレルの不祥事は2度あり、1度目は2010年11月5日BCマラソンにおけるハビエル・カステリャーノのラフプレーに対し激高、レース後ウィナーズサークルで同騎手に突っかかって観衆の前で殴り合いとなった。この様子はアメリカ国内のテレビニュースのスポーツコーナーでも放送された。2度目は2011年8月にエリスパーク競馬場のレース終了後に飲食店に一旦立ち寄った後、滞在していたホテルに自動車で帰る途中に危険な運転をしていたのを警察に発見され、職務質問とアルコール検査を行った所許容レベル超のアルコールが検出され逮捕された[2]。ボレルは直後に釈放されレースに復帰しているが、この件に対しての処分が行われたかは不明である。

脚注

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  1. ^ ケンタッキーダービー3勝の名手C.ボレル騎手が引退UMAJIN 2016年4月2日閲覧
  2. ^ 週刊ギャロップ2011年9月12日発売号「北米リポート」

関連項目

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外部リンク

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