カメハメハ3世
ハワイ王国第3代の王
カメハメハ3世(カメハメハ3せい、Kamehameha Ⅲ、カウイケアオウリ Kauikeaouli 1813年8月11日 - 1854年12月15日)は、ハワイ王国第3代の王(在位1825年 - 1854年)。
カメハメハ3世 Kamehameha Ⅲ | |
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ハワイ国王 | |
カメハメハ3世(1853年頃) | |
在位 | 1825年6月6日 - 1854年12月15日 |
全名 | Keaweaweʻula Kīwalaʻō Kauikeaouli Kaleiopapa Kalani Waiakua Kalanikau Iokikilo Kīwalaʻō i ke kapu Kamehameha |
出生 |
1813年8月11日 ハワイ島ケアウホウ |
死去 |
1854年12月15日(41歳没) ハワイ島イオラニ宮殿 |
埋葬 |
1855年1月10日 オアフ島ハワイ王室霊廟 |
配偶者 | カラマ王妃 |
王朝 | カメハメハ |
父親 | カメハメハ1世 |
母親 | ケオプオラニ |
サイン |
1825年、麻疹の感染でイギリス渡航中に客死した兄カメハメハ2世の跡を受けて即位。1832年までは義母カアフマヌが摂政を務めた。カアフマヌはカメハメハ2世に洗礼を施し、ハワイの伝統的信仰を廃するなどしている。
当時ハワイは重要な捕鯨地域として、また砂糖の産地として注目されていた。こうした中、カメハメハ3世は王国の改革に努め、1840年にハワイ語の憲法を制定し、1840年代半ばにはイギリス、フランス、アメリカから独立国として承認された。しかし、憲法制定後の政府では白人が要職を握り、ハワイ人が主体的に政治参加することが妨げられていた。近代的な土地制度も導入されたが、私有観念の希薄なハワイ人が土地を失う結果に終わった。
カメハメハ3世は実妹のナヒエナエナと愛し合い[1]、妹との間に息子を儲けている[2]。
1854年死去、甥のカメハメハ4世が跡を継いだ。
名言
編集- "Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono"(「土地の生命(≒主権)は正義によって永続する」)- 現在ではハワイ州の標語となっている。
参考文献
編集- ^ デビッド・ドブズ. “王家にはなぜ近親婚が多いのか?”. ナショナルジオグラフィック. 2020年8月10日閲覧。
- ^ 森出じゅん (2018年8月1日). “ナヒエナエナ王女”. ハワイ州観光局. 2020年8月10日閲覧。