カダシャン・ベイ (護衛空母)

アメリカ海軍の護衛空母。カサブランカ級。

カダシャン・ベイ (USS Kadashan Bay, AVG/ACV/CVE-76) は、アメリカ海軍護衛空母カサブランカ級航空母艦の22番艦。艦名はアラスカのカダシャン湾にちなむ。

カダシャン・ベイ
基本情報
建造所 ワシントン州バンクーバーカイザー造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 航空母艦護衛空母
級名 カサブランカ級
艦歴
起工 1943年9月2日
進水 1943年12月11日
就役 1944年1月18日
退役 1946年6月14日
除籍 1959年8月1日
その後 1959年8月13日、スクラップとして売却
要目
基準排水量 8,319 トン
満載排水量 11,077 トン
全長 512フィート3インチ (156.13 m)
水線長 490フィート (150 m)
最大幅 65フィート2インチ (19.86 m)
飛行甲板 474×108フィート (144×33 m)
吃水 満載時20フィート9インチ (6.32 m)
主缶 B&W製ボイラー×4基
主機 5気筒スキナー式ユニフロー蒸気機関英語版×2基
出力 9,000馬力 (6,700 kW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 19ノット (35 km/h)
航続距離 10,240海里 (18,960 km)/15ノット
乗員 士官・兵員860名
兵装
搭載機 28機
その他 カタパルト×1基
艦載機用エレベーター×2基
テンプレートを表示

艦歴

編集

「カダシャン・ベイ」は1942年8月20日にACV-76(補助空母)に艦種変更され、1943年7月15日に再びCVE-76(護衛空母)へと艦種変更された。1943年12月11日に合衆国海事委員会の契約下ワシントン州バンクーバーカイザー造船所でオードリー・アッカーマンによって進水する。1944年1月18日にR. N. ハンター艦長の指揮下で就役した。

整調後、「カダシャン・ベイ」は1944年3月6日にサンディエゴを出航しエスピリトゥサント島へ向かった。同島へ2度の航海を行い、合計154機の航空機を送り届け、5月13日にサンディエゴに帰還した。修理及び訓練後、7月10日に出航し真珠湾の空母部隊に合流する。1ヶ月後ツラギ島へ向けて出航、9月に行われるパラオへの攻撃の最終準備に入った。

「カダシャン・ベイ」は9月6日にツラギ島を出航、6日後に搭載航空団がペリリュー島の日本軍陣地に対する侵攻前の空襲を行った。地上部隊は9月15日に上陸し、フィリピン侵攻を支援するための航空基地として同島を占領した。マヌス島で準備が完了し、「カダシャン・ベイ」はフェリックス・スタンプ少将率いる第77.4.2任務隊(通称「タフィ2」)に加わり[1]、10月14日にレイテ湾に向けて出航した。10月21日にレイテ湾沖に到着すると、直ちに沿岸の部隊に対する支援攻撃を開始した。4日後、搭載偵察機の1機、ハンス・L・ジェンセン少尉機がサマール島沖で栗田健男中将率いる日本艦隊を発見した。サマール沖海戦で「カダシャン・ベイ」は戦闘機3機と雷撃機3機を発艦させ、栗田艦隊への攻撃を行った。任務が完了するとマヌス島へ向けて出航し、11月3日に到着した。

フィリピンでの戦闘は継続し、「カダシャン・ベイ」の航空部隊は12月中旬に11機の敵機と遭遇した。ルソン島上陸のための準備を行い、1945年1月3日に主力部隊に合流した。5日後の1月8日にルソン島沖に到着、早朝の航空攻撃に参加した。その日の午前、特攻機が主力部隊に攻撃を仕掛けてきた。この日の主力は日本陸軍の神風で[2]、オーストラリア重巡洋艦「オーストラリア (HMAS Australia, D84) 」と「カダシャン・ベイ」に1機ずつ突入した。敵機は艦橋下の艦中央部に激突し、一時間半に及ぶダメージ・コントロールの努力が続けられた。「カダシャン・ベイ」は1月12日にレイテ島に到着し、応急修理が行われた後、2月13日に本修理のためサンフランシスコに向かった。

「カダシャン・ベイ」は4月8日に真珠湾に向けて出航。4月14日に到着し、その後太平洋の島々の間を航空機及び便乗者を乗せて巡航した。7月には日本本土への攻撃を行う第3艦隊ウィリアム・ハルゼー大将)のための補給任務を命じられ、真珠湾への航海の途中に日本の敗戦の報を知る。

「カダシャン・ベイ」は9月にマジック・カーペット作戦に参加し、帰還兵を乗せて9月26日にサンフランシスコに到着した。続く3ヶ月にわたって、兵士達を帰国させるため真珠湾、グアム島、沖縄、中国からの航海を繰り返した。12月22日にサンペドロに到着、これが最後の太平洋からの航海となった。1946年1月10日にサンディエゴを出航し、ボストンに向かう。1月29日にボストンに到着し、6月14日に退役、同地で大西洋予備役艦隊入りした。その後、1956年6月12日にCVU-76(雑役空母)に艦種変更され、1959年8月13日にスクラップとして廃棄された。

「カダシャン・ベイ」は第二次世界大戦の戦功での2つの従軍星章を受章した。

脚注

編集
  1. ^ 金子, 116ページ
  2. ^ 永井、木俣, 139ページ

参考文献

編集
  • デニス・ウォーナー、ペギー・ウォーナー/妹尾作太男(訳)『ドキュメント神風 特攻作戦の全貌 上・下』時事通信社、1982年、ISBN 4-7887-8217-0ISBN 4-7887-8218-9
  • 永井喜之、木俣滋郎『撃沈戦記 PARTIII』朝日ソノラマ、1991年、ISBN 4-257-17242-8
  • 金子敏夫『神風特攻の記録 戦史の空白を埋める体当たり攻撃の真実』光人社NF文庫、2005年、ISBN 4-7698-2465-3

外部リンク

編集