オート=アルプ県

フランスの県

オート=アルプ県(オート=アルプけん、: Hautes-Alpes、発音:[o.t̪(ə).z‿alp])は、フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の県。

オート=アルプ県
Hautes-Alpes
Hautes-Alpes章
オート=アルプ県章
位置
Hautes-Alpesの位置
概要
県番号 05
地域圏 プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール
県庁所在地 ギャップ
郡庁所在地 ブリアンソン
2
小郡 30
コミューン 177
県議会議長 ジャン=マリー・ベルナール
統計
人口
国内98位
  (1999年)
138,605人
人口密度 25人/km2
面積¹ 5,549 km2
¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。
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歴史

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フランス革命中の1790年3月4日に新たに設置された県である。かつてのドーフィネ南東部から形成されており、1811年には旧プロヴァンスのコミューンがいくつか編入された。

ワーテルローの戦い第七次対仏大同盟が勝利したあと、1815年6月から1818年11月まで県はオーストリア軍とピエモンテ軍に占領されていた。

1947年2月10日に締結されたパリ条約によって、対イタリア国境の整理が行われ、タボール山とシャベルトン山が県に組み込まれた。

1942年11月から1943年9月まで、県はイタリアのファシスト政権に占領されていた[1]

地理

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南アルプスに位置する県である。真に都市といえるコミューンは、ギャップブリアンソンアンブランララーニュ=モンテグラン、ヴェイヌしかない。

非常に山岳地帯が多い県で、県の平均標高はフランス国内で最も高い。県で最も標高の低いコミューンはリヴィエールで470mなのに対し、県で最も標高の高いビュエックは4102mである。また、道路のネットワークも標高が高く、平均で標高1000m以上である。国内で最も高い場所にあるタウンホールはサン=ヴェランで、2042mである。ギャップは国内の県庁所在地として最も標高が高い。そしてブリアンソンはEU内で最も標高の高い都市となっている。

県内にはデュランス川、ドラク川、ビュエック川、クラレ川、ギル川、ギサヌ川など多くの河川がある。さらに、セール・ポンソン湖を含め、面積3000ヘクタールにおよぶ湖沼がある。

県には以下の自然区分上の地方が含まれている。:ブリアンソネ、ボシャーヌ、シャンソー、デヴォリュイ、ギャパンセ、ギュストロワ、ララニェ、ル・ケイラ、セロワ=ロザネ、ヴェイノワ、ヴァルゴドマール、ペイ・デゼクランである。

一方で地中海性気候の影響を受けながらも、他方では海洋性の多少降雨の影響を受ける。年間300日以上晴天日があり、夏同様冬も観光が盛んな県である。

観光

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観光業が経済で最も盛んな分野である。観光統計局の最新統計(2002年-2003年)によると、オート=アルプ県における観光支出は931万ユーロにのぼった。同じ期間に企業が売上高として報告したのは2427万ユーロであった。これは上記の数字が企業の売上高の38.4%を占めたことを示す。

観光業における雇用が非常に重要で、雇用全体のうち15%が観光業からである。親しまれているのは冬のスキー・リゾートで、アルプス地方に250kmにわたって複数のコミューンに広がるセール・シュヴァリエといった広大なスキー場から、1つか2つのコミューンにまたがる中小規模のスキー場が複数ある。夏は山での余暇(ハイキング、乗馬、登山)が親しまれ、セール=ポンソン湖や河川ではウォータースポーツが行われる。

エクラン山地はヴェルイーズ谷やル・ケイラと同様に国立自然公園や地域圏自然公園の地位を与えられて保護されている。ここでは高山、中山間の登山やハイキングが優先して行われている。

デュランス川と支流、その他の河川では、ラフティングやカヤック愛好家のため多くの機会が提供されている。

タラールやサン=クレパンといったコミューンでは、グライダーやパラシューターのために飛行場が整備されている。

史跡として、モン=ドーファンやブリアンソン、フォール・ケイラに残る要塞、ラルジャンティエール=ラ=ベセに残るヴァロン・デュ・フルネル銀鉱山跡がある[2]。宗教的歴史文化財として、12世紀建立のノートルダム・ド・ボスコダン修道院、サンタンドレ・ド・ロザン修道院、ギャップにあるノートルダム・エ・サンタルヌー大聖堂、アンブランの旧ノートルダム聖堂がある。

人口全体調査によると、県内の利用可能な住宅のうち46.1%はセカンド・ハウス、別荘である。

人口統計

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オート=アルプ県は国内有数の人口密度が低い県である。1950年代に最小を記録した後、人口は以来着実に伸びている。この人口の増加は主としてギャップの町に利益をもたらした。ギャップには県人口の約30%が集まっている。またデュランス川流域とビュエック谷に集中するコミューンも重要である。

人口の増減

1791年 1801年 1806年 1821年 1826年 1831年 1836年 1841年 1846年 1851年
120,485 112,500 124,771 121,418 125,329 129,102 131,162 132,584 133,100 132,038
1856年 1861年 1866年 1872年 1876年 1881年 1886年 1891年 1896年 1901年
129,556 125,100 122,117 118,898 119,094 121,787 122,924 115,522 113,229 109,510
1906年 1911年 1921年 1926年 1931年 1936年 1946年 1954年 1962年 1968年
107,498 105,083 89,275 87,963 87,566 88,210 84,932 85,067 87,436 91,790
1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2011年 - - - -
97,358 105,070 113,300 121,631 130,752 138,605 - - - -


脚注

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出典

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  1. ^ Stéphane Simonnet, Atlas de la Libération de la France, éd. Autrement, Paris, 1994, réimp. 2004 (ISBN 2-7467-0495-1) , p 60
  2. ^ mines d'argent du Vallon du Fournel

外部リンク

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