オラフ祭
オラフ祭(オラフさい、典:Ólavsøka)は、デンマーク自治領のフェロー諸島で毎年夏に開催される祝祭で、毎年7月29日の祝日「聖オラフの日」を祝して数日間開催される。
芸術・スポーツの祭典でもあり、美術作品の展示やコンサート・舞踊の上演のほか、サッカーの試合やボート競技なども行われる。特にボート競技の決勝戦はフェロー諸島のスポーツでも年間を通して最も盛り上がりを見せる一戦となる。一連のイベントに合わせ島中の住民が中心都市トースハウンに大挙して押し寄せ、前夜祭の7月28日はいくつかの企業が半休に、当日の29日はほとんどの企業で全日休業となるほど[1][2]の規模で祝祭が執り行われる。また29日当日にはフェロー諸島の議会であるレクティング (Løgting) が招集されるのに合わせ、この日のイベントには議長や警察長官、デンマーク公使といった公人が参加する。
概要
編集7月29日の「聖オラフの日」を祝い、29日とその直前の数日で開催される一連の祝祭で、展覧会・上演会やスポーツ競技大会がこれに合わせて開催されるため芸術・スポーツの祭典としての側面も持つ。芸術面では絵画作品の展示や民俗音楽の演奏会、民族舞踊のチェーンダンスが行われる。スポーツではサッカーの試合のほかに一大スポーツイベントとしてボート競技大会が開催される。
祝祭は前々日の7月27日のコンサートを皮切りに各種のイベントで構成される。前日の28日にはスポーツ選手や市議会議員らによる市内の行進やボート競技大会が行われ、開会セレモニーもこの日に催行される。聖オラフの日の29日当日はフェロー諸島議会の議長や警察長官、デンマーク公使らによる市内行進と、記念カンタータの上演が行われる(イベントについては#イベントにて後述)。
祝祭の起源
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オラフ祭で祝われる「聖オラフの日」は毎年7月29日として祝祭日に指定されており、これは1030年にノルウェー王のオーラヴ2世(聖オラフ)がスティクレスターの戦いで戦死した日にちなむ。また、Ólavsøka は「聖オラフの通夜」(vigilia sancti olavi、ビジリアを参照)を意味している。フェロー諸島では復活祭の祝日は前夜から祝われることが多く、このためオラフ祭も毎年前日の7月28日にセレモニーを開いて始まることになっている。しかし実際はさらにそれよりも前から始まるイベントもあり、近年ではコンサートが27日に開催されるようになりつつある。
なお、祝祭の決まり文句として Góða Ólavsøku! (「よき聖オラフの通夜を」の意)という挨拶が用いられている。
イベント
編集27日の夕刻にトースハウンで行われるコンサートを皮切りに各種のイベントが始まる。前夜祭に該当する翌28日には、オラフ祭開催を告げるトースハウン市内の行進が行われる。この行進にはトースハウンのスポーツ選手や市議会議員、ブラスバンドなどが参加し、街の中心あたりに位置する Tinghúsvøllur 広場まで下っていく。この広場では事前に選ばれていた人物が演説をし、これにより正式にオラフ祭の開催が宣言される。
28日には一大イベントのボート競技が開催される。競技に使われるボートは木製の手漕ぎボートで、漕ぎ手は各列2人組を作って着座するが1人だけはペアを組まずボートの後ろで操舵を行う。年齢・性別のほかボートの大きさによって部門が分けられている。ボートは大きさによりオールの数が異なり、5・6・8・10オールの部門がある。各部門のレースで優勝したチームにはトロフィーが授与され、さらにフェロー諸島チャンピオンとなったチームにはもう一つトロフィーが授与される。各部門で優勝したメンバーにはメダルも贈呈される。漕ぎ渡る距離は1,000メートルが基準だが、子どもの部門は距離が短くなっているほか、8オール部門では1,500メートル、10オール部門では2,000メートルと距離が延びている。
祝祭日当日の7月29日にはフェロー諸島議会が開かれ議長 (Løgmaður) が演説を行うことになっているが、開会の前には礼拝と行進、そして記念式典が執り行われる。聖職者や議会議員、警察長官のほか、デンマークの公使など重要人物数人を加え、大聖堂に行進して礼拝を行う。今度はフェロー諸島議会の議院に向けて行進、議院前の広場で集まった聴衆と合流し、この場でカンタータが上演されるという流れになっている。
記念切手
編集フェロー諸島の郵便事業者Posta(当時)により、1988年5月18日にオラフ祭の様子を取り入れた切手が発行された。デザインは Edward Fuglø による。