オバフェミ・マルティンス
オバフェミ・マルティンス(Obafemi Martins)ことオバフェミ・アキンウンミ・フォルワショラ・オシャディ・マルティンス(Obafemi Akinwunmi Foluwashola Oshadi Martins、1984年10月28日 - )は、ナイジェリア・ラゴス出身の元サッカー選手。元ナイジェリア代表。現役時代のポジションはフォワード。
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レバンテUDでのマルティンス(2012年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
オバフェミ・アキンウンミ・フォルワショラ・オシャディ・マルティンス Obafemi Akinwunmi Foluwashola Oshadi Martins | |||||
愛称 | オバオバ | |||||
ラテン文字 | Obafemi Martins | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ナイジェリア | |||||
生年月日 | 1984年10月29日(40歳) | |||||
出身地 | ラゴス | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
エベデイ | ||||||
レッジャーナ | ||||||
ピアチェンツァ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2001 | レッジャーナ | 2 | (0) | |||
2001-2006 | インテル・ミラノ | 88 | (28) | |||
2006-2009 | ニューカッスル | 88 | (28) | |||
2009-2010 | ヴォルフスブルク | 16 | (6) | |||
2010-2012 | ルビン・カザン | 20 | (3) | |||
2011 | → バーミンガム (loan) | 4 | (0) | |||
2012-2013 | レバンテ | 21 | (7) | |||
2013-2016 | シアトル・サウンダーズ | 72 | (40) | |||
2016-2018 | 上海申花 | 43 | (16) | |||
2020 | 上海申花 | 4 | (0) | |||
2020 | 武漢卓爾 | 6 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
2004-2015 | ナイジェリア | 41 | (18) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集14歳の時、ナイジェリアのFC Ebedeiに加入。その後、16歳でイタリアのセリエCレッジャーナのトライアルに参加。2か月のトライアルを経て、Ebedeiのチームメイトスティーヴン・マキンワとともに入団。ユースチームで活躍し、これが、元イタリア代表ストライカーピエルルイジ・カジラギの目に留まり、彼の推薦もあって2001年からレッジャーナのトップチームに昇格する事になった。この年のビアレッジョ国際ユースで優勝するとアフリカ最優秀若手選手にも選出された。
2001年からはインテルへ移籍。初年度はユースチームで23得点を記録する。2002年12月にトップチームデビュー。アルバロ・レコバ、アドリアーノ、フリオ・クルスら豪華なFW陣の一角を占める中、先発出場は少ないものの、セリエAで88試合に出場して28得点を記録。中でも2002-03シーズンのチャンピオンズリーグでは、セミファイナルで大会史上初のACミランとのミラノダービーとなった。その第2戦でルーズボールを背中で流し、パオロ・マルディーニをスピードで完全に振り切り得点を奪った。2005年には2010年まで契約を延長。
しかし2006年にユヴェントスからズラタン・イブラヒモビッチ、チェルシーからエルナン・クレスポの加入が決定。出場機会の激減が予想されたため、移籍を志願。移籍市場ではバレンシアなどがオファーを出すなど注目を集めたが、2006-07シーズンよりイングランドのニューカッスル・ユナイテッドへ移籍。ニューカッスルでは3シーズンで88試合に出場し28ゴールを記録するも、2008-09シーズンにチームが降格。これに伴い、2009年7月、移籍金900万ポンドでドイツのVfLヴォルフスブルクに4年契約で移籍した[1]。2010年7月、ロシア・プレミアリーグのFCルビン・カザンに3年契約で移籍した[2]。
ナイジェリア代表においては、アフリカネイションズカップ2006での3位入賞に貢献するなど中心選手となっている。2007年11月17日の親善試合・オーストラリア戦では初めてキャプテンを任された。2009年11月14日のワールドカップ予選・ケニア戦では同点ゴール、決勝ゴールと2得点を挙げる活躍で、ナイジェリアのワールドカップ出場決定に貢献した。
2011年1月31日、プレミアリーグのバーミンガム・シティFCにレンタル移籍。2月19日のFAカップ5回戦で移籍後初ゴールを決めた。2月27日に行われたリーグカップ決勝・アーセナル戦で途中出場し、1対1で迎えた後半44分に決勝ゴールを挙げ48シーズンぶり2度目の優勝に貢献した。
2016年2月、中国サッカー・スーパーリーグの上海申花へ完全移籍することが発表された。2018年4月3日に行われたAFCチャンピオンズリーグ2018 グループリーグの鹿島アントラーズ戦で大腿四頭筋を断裂、全治7か月の重傷を負った[3]。2018年6月1日、上海申花を退団した[4]。
その後は無所属が続いていたが、2020年7月に上海申花へ復帰した[5]。
人物
編集- 妻はマリオ・バロテッリの実姉である[7]。
- 息子のケビン・マルティンスもサッカー選手で、ACミランの下部組織でキャリアをスタートさせたが、2018年に父の古巣インテルに移籍。2022年現在、インテルのU-18カテゴリーに所属している。ポジションはフォワード。ケビンにとってバロテッリは叔父に当たる。
- インテルでは先輩FWであり、同じ英語話者であるクリスティアン・ヴィエリにかわいがられていた[要出典]。
- 2006年8月にナイジェリアサッカー協会の公式サイトにおいて、生年月日が誤って1978年5月1日(実際は1984年10月28日)と掲載された[要出典]。
- 2007年6月20日、ナイジェリアのラゴスで車の運転中に銃で襲われたことがある[要出典]。
- 2008年7月24日、ナイジェリアのラゴスで起こったタンクローリー爆発事故による火災に、母が巻き込まれて亡くなった[8]。本人はショックを受け、すぐにイングランドからナイジェリアへと向かった。
- ゴールパフォーマンスとして、頻繁にバク転を披露していた。
タイトル
編集クラブ
編集- インテル
- セリエA : 2005-06
- コッパ・イタリア : 2004-05, 2005-06
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2004-05, 2005-06
- ニューカッスル
- UEFAインタートトカップ : 2006
- バーミンガム
- フットボールリーグカップ : 2011
- シアトル・サウンダーズ
- サポーターズ・シールド : 2014
- USオープンカップ : 2014
- 上海申花
- 中国FAカップ : 2017
個人
編集- CAF年間最優秀若手選手 : 2003, 2004
脚注
編集- ^ マルティンスがヴォルフスブルクに移籍!Goal.com、2009年8月1日
- ^ マルティンスがルビンへ移籍UEFA.com、2010年7月10日
- ^ “超速FWマーティンス、W杯出場の夢が潰える…ACLで全治7ヵ月の大怪我”. qoly.jp (2018年4月5日). 2020年10月8日閲覧。
- ^ “登巴巴回归申花在即 马丁斯已解约注册无障碍”. 新波体育 (2018年6月1日). 2020年10月8日閲覧。
- ^ ““爆速”の元ナイジェリアFWが中国へ帰ってくる 35歳でも大人気の韋駄天FW”. theworldmagazine.jp (2020年7月17日). 2020年10月8日閲覧。
- ^ “快足で鳴らした元ナイジェリア代表FWマルティンスが中国の武漢卓爾に加入”. 超WORLDサッカー (2020年9月22日). 2020年10月8日閲覧。
- ^ 元インテルのマルティンスがバロテッリ擁護「報道は誇張されている」サッカーキング、2014年12月3日
- ^ 快速FWマルティンスの母が火災で亡くなるlivedoorスポーツ、2008年7月25日