オスカー・デ・ラ・ホーヤ

オスカー・デ・ラ・ホーヤOscar De La Hoya1973年2月4日[1] - )は、アメリカ合衆国のプロボクシングプロモーター、プロボクサーカリフォルニア州イーストロサンゼルス市出身[1]。元WBO世界ミドル級王者。元WBO世界スーパーフェザー級王者。元IBF・WBO世界ライト級統一王者。元WBC世界スーパーライト級王者。元WBC世界ウェルター級王者。元WBAスーパー・WBC世界スーパーウェルター級統一王者[1]。史上初の世界6階級制覇王者[1]1992年バルセロナオリンピック金メダリスト。

オスカー・デ・ラ・ホーヤ
Oscar De La Hoya
慈善団体The Salvation Armyにて(2014年)
基本情報
本名 オスカー・デ・ラ・ホーヤ
通称 Golden Boy(ゴールデン・ボーイ)
階級 ウェルター級
身長 179cm
リーチ 185cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1973-02-04) 1973年2月4日(51歳)
出身地 カリフォルニア州イーストロサンゼルス
スタイル オーソドックス(ただし利き腕は左)
プロボクシング戦績
総試合数 45
勝ち 39
KO勝ち 30
敗け 6
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獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 ボクシング
オリンピック
1992 バルセロナ ライト級

人物

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来歴

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アマチュア時代

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祖父、父、オスカーの親子三代でボクシングを経験しているというボクサーの家系で育ち、5歳でボクシングを始めた[1]ジョー小泉の著書『ボクシング・バイブル』によれば、「従兄弟とのボクシングでいつも打ちのめされていたことから当初はボクシングが嫌いだった」との記述がある[3]

アマチュアでの戦績は228戦5敗で、端正な顔立ちとボクシングの才能によりアマチュアボクサーとしては異例の人気があった[1]

1990年および翌1991年のアメリカ合衆国ライト級アマチュア王座を獲得しており、また1992年、19歳の時にバルセロナオリンピックのライト級で金メダルを獲得した[1]

プロ契約・4階級制覇まで

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バルセロナオリンピックで金メダルを獲得した1992年にボブ・アラム率いるトップランク社と破格の契約金でプロ契約、同年11月23日にプロデビュー。1994年3月にプロ12戦目でWBO世界ジュニアライト級王座を獲得、同年7月にWBO世界ライト級王座を獲得した[1]

1995年5月にはIBFライト級王座を獲得、これによりIBF・WBO統一王者となった[1]。また、翌1996年6月にはWBC世界ジュニアウェルター級(現スーパーライト級)王座を賭けて、当時の王者メキシコのフリオ・セサール・チャベスと対戦し勝利、世界3階級制覇を達成した[1]

世界3階級制覇後も勝利は続き、1997年4月にアメリカのパーネル・ウィテカーと対戦し勝利、WBC世界ウェルター級王座を獲得し4階級制覇となった[1]。同ウェルター級ではその後王座防衛回数7度を数えている[1]

1999年2月13日にはガーナの元WBA世界ウェルター級王者アイク・クォーティに判定勝ち。

史上最年少・5階級制覇

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1999年9月に行われたIBF世界ウェルター級統一戦で同王座を持つプエルトリコフェリックス・トリニダードと対戦したが、判定負けによりデ・ラ・ホーヤはプロとなって以降初の敗北を経験した[1]

2000年2月、WBC世界ウェルター級王座の挑戦者決定戦でアメリカのダレル・コーリーと対戦しKO勝利を収め、王座挑戦権を獲得[1]。同年3月には前年に対戦したフェリックス・トリニダードが自身の保持していたWBC世界ウェルター級王座を返上したため、デ・ラ・ホーヤはそのまま同王座を再獲得した[1]。しかし、同年6月にアメリカのシェーン・モズリーとの対戦で敗れ王座を失った[1]

2001年6月になってWBC世界スーパーウェルター級王者、スペインハビエル・カスティリェホに判定勝利し史上最年少、かつ最短で5階級制覇を達成した[1]

2001年10月5月、デ・ラ・ホーヤが自身のミュージックビデオに出演を依頼したことをきっかけにプエルトリコの歌手兼女優のミリー・コレチャーと結婚した。

2002年9月14日、WBA世界スーパーウェルター級王者、アメリカのフェルナンド・バルガスと王座統一戦を行い、11回にダウンを奪ったデラホーヤが試合を決めTKO勝ち。王座を統一した。また試合後にバルガスからは薬物検査で陽性反応が確認された[4]

2003年5月3日、元IBF世界スーパーウェルター級王者ルイス・ラモン・カンパス(メキシコ)と対戦。7回2分54秒TKO勝ちを収めWBA王座は初、WBC王座は2度目となる防衛にそれぞれ成功した[5]

しかし同年9月13日、既にWBC世界ウェルター級王座を失っていたシェーン・モズリーと再戦したが判定負けし、両王座から陥落した[6]。この対戦では採点不正の疑惑があり、後にプロモーターが召喚されている[7]

史上初・6階級制覇

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2004年6月5日、WBO世界ミドル級王者だったドイツフェリックス・シュトルムに判定勝利、ボクシング史上初の6階級制覇を達成した[1][8]

しかし同年9月18日にはWBA・WBC・IBF世界ミドル級王者バーナード・ホプキンスと、ミドル級の規定体重である160ポンド(72.57キロ)ではなく158ポンド(71.66キロ)のキャッチウェイトで対戦したが、プロキャリア初のKO負けを喫し王座から陥落した[1][9]

この敗北の後、1年8か月間休養を挟み、2006年5月6日、20か月ぶりの試合でWBC世界スーパーウェルター級王者、ニカラグアリカルド・マヨルガと対戦した[1]。初回にダウンを奪うなど試合を有利に進め、6回TKO勝ち[1]を収め3年ぶりに同王座を再獲得した[10]。また10個目の世界王座獲得ともなった[1]

2007年5月5日、史上初めて4階級を制した無敗のフロイド・メイウェザー・ジュニア(アメリカ)との「世紀の一戦」において、1-2の12回僅差判定で敗れる[11]。メイウェザーはこの試合で5階級制覇を達成し[11]、デ・ラ・ホーヤは王座を失った[1]

2008年5月3日、元IBF世界スーパーフェザー級王者のスティーブ・フォーブス(アメリカ)と対戦し、3-0の判定勝ちを収めおよそ1年振りとなる試合を白星で飾った[12]

引退・パッキャオ戦

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2008年12月6日、アメリカ・ラスベガスMGMグランド・ガーデン・アリーナで、前戦でライト級王座を獲得した2階級下のマニー・パッキャオフィリピン)とウェルター級契約のノンタイトル12回戦で対戦。試合前の予想はデ・ラ・ホーヤがブックメーカーの賭け率で1.5対2.5と僅差で有利だったが[13][14]、試合は序盤から精彩を欠いたファイトでパッキャオの動きに全くついていけず、7回にはパッキャオの攻撃でストップ寸前に陥る(この回の採点はジャッジ三者とも8-10)など一方的な展開の末、8回終了後にコーナーでデ・ラ・ホーヤ自身がギブアップの意思を表明してTKO負けを喫した[15]。この試合がデラホーヤのラストファイトとなった。

2009年4月14日、体力の衰えなどから現役引退を表明[16]

2011年4月8日に行われたワールドプレミアムボクシングThe REAL13 副題(東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ)ではVTRながら日本にエールを送った[17]

2011年8月30日、近年自身が重度の薬物(コカイン)、アルコール依存であることを発表し5月21日からリハビリ施設に入っていることを公表した。飲酒は幼少期の9歳頃から行い、試合前に恐怖心を紛らわすために飲酒をエスカレートさせていったとしている。引退試合となったパッキャオ戦でも体力の衰えもあり「勝てるわけがない」と思って飲酒と薬物に手を出していたという[18][19]。その後のインタビューで薬物、アルコール依存症が辛く自殺を考えたこと、浮気をしており一時期妻と別居していたことを語っている[20]

2011年9月上旬、薬物とアルコール依存を告白したのに続き「もう嘘はつきたくない、あれは自分だった」と、2007年に流出した自身が女性下着を着用した写真が本物であったことを認め、当時はコカインとアルコールの飲用で気分が高揚した状況下にあったと弁明した[21][22][23]

2013年9月10日、自身のゴールデンボーイ・プロモーションズが主催するフロイド・メイウェザー・ジュニアvsサウル・アルバレスのプロモーション活動を精力的にこなしていた矢先、試合4日前に緊急でリハビリ施設へ入り療養に専念することが発表された[24]

2015年6月29日、現役復帰について五分五分であると復帰する考えがあることを一旦は公表するが、家族と話し合い自分を見つめ直した結果、現役復帰を断念したことを発表した[25]

2017年1月25日、ロサンゼルスで飲酒運転で逮捕された[26][27]

2017年11月15日、現役復帰をして総合格闘技UFCコナー・マクレガーと対戦するために5ヵ月間ひそかにトレーニングをしてきたと明かし、「ケージでは彼に破壊されるだろうから、リングでやろう。マクレガーを2ラウンドでKOできる」と対戦表明をした[28][29]

2019年2月27日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの契約選手であるライアン・ガルシアに頻繁に接触したり、公の場でガーボンタ・デービスとの対戦オファーを出すなどしていたフロイド・メイウェザー・ジュニアに対し、デ・ラ・ホーヤは、それらの行為は違法行為だと通告し今後はガルシアに接触しないよう警告する法的文書を送付した[30][31]

2020年5月5日、CBS Sportsのポッドキャストで「マクレガーを2ラウンドでKOできる。オクタゴンの彼は大好きだし、尊敬もしている。彼の試合はいつも見るよ。でもボクシングは全く別の世界だ」とコナー・マクレガーを挑発すると[32]、マクレガーがツイッターで「俺はあなたの挑戦を受ける。オスカー・デ・ラ・ホーヤ」と応じるも、デ・ラ・ホーヤは「はっきりさせておくが、マクレガー。私はあなたに挑戦したことは決して無い。私は単に質問に対して本当のことを話しただけだ」とツイッターで返答し[33][34]、さらに立て続けに、デ・ラ・ホーヤが2017年のフロイド・メイウェザー・ジュニアvsコナー・マクレガーを批判して以来因縁が有るUFC代表ダナ・ホワイトへも唐突に「おまえはクソガキだ、ボクシングエアロビクスの先生だった時以外でボクシンググローブを着けたことないだろ。おまえは運良くUFCの10%を持てただけじゃないか」とツイッターで挑発した[35][36]

2020年6月23日、エキシビションでの復帰を宣言したマイク・タイソンに触発される形で、「まずタイソンの復帰戦の動きを見てから決定したい」と、エキシビションではなく公式戦での現役復帰を真剣に検討していると表明した[37]

現役復帰

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2020年8月19日、デ・ラ・ホーヤが「本当の戦いをする。ボクシングが好きで、リングが恋しい。今があるのはボクシングのおかげ。今はそれを失っている」と、現役復帰を表明[38][39][40][41]。現役選手を「15~20年前のレベルにはない。金を求め過ぎ」と批判し、「私は栄光のために闘う」「トップの選手なら誰とでも」と対戦を希望した[42]

2020年12月、デ・ラ・ホーヤが「私にとってゲンナジー・ゴロフキンがどれほど楽な相手かわかるだろ。彼みたいなタイプの選手に対していつもうまく戦ってきたし、常に勝ってきたからね。自分の中ではそれくらい楽な相手だ」と語ったことに対して、ゴロフキンが「自分がどれだけ汚い口をきいているか分かっているのか、オスカー。やつが何をしゃべろうと勝手だが、こちらも言わせてもらう。リングの上で合法的に人を殺すチャンスがあったら、俺はその機会を活用する」と激怒した[43][44]

2021年3月26日、動画投稿アプリケーション会社「Triller」が主催するジェイク・ポール vs ベン・アスクレンの試合記者会見でサプライズでステージに登場し、「7月3日、私は現役復帰します」と、Trillerが7月3日に主催するペイ・パー・ビュー興行で現役復帰すると発表した[45]

2021年4月17日、Trillerが主催する興行のジェイク・ポール vs ベン・アスクレンでコメンテーターとしてテレビ解説席に座るが、酒に酔っぱらい、ふざけたコメントや試合を茶化すようなコメントを連発して、視聴者の反感を買い、後日謝罪をした[46]

2021年5月13日、元UFCのスター選手ジョルジュ・サンピエールとの対戦を目指していたが、ダナ・ホワイトがサンピエールにデ・ラ・ホーヤとの対戦許可を出さなかったことで交渉が頓挫し、元UFC選手のエディ・アルバレスにも対戦を断られたことで[47]、デ・ラ・ホーヤの復帰戦が7月3日から9月に延期になったことをTrillerが発表した[48]

2021年6月9日、ゴールデンボーイ・プロモーションズの子会社として新たなプロモーション「KOエンターテインメント」を設立して、実験的な試みの格闘技興行「バリーズ・ファイト・ナイト」を開始した。テレビ画面内にテレビゲームのストリートファイター鉄拳などの対戦型格闘ゲームで存在する「体力ゲージ」を表示させ、選手のグローブ内にセンサーを挿入して、グローブが相手にヒットした際の強弱で体力ゲージが100%から減っていく初心者にも選手のダメージが視覚的にわかり易い仕組みを構築して、ボクシングと総合格闘技の試合を行った[49][50]

2021年6月17日、元UFC選手のビクトー・ベウフォートと9月11日に対戦することが発表された[51]

2021年9月4日、デ・ラ・ホーヤが自身のツイッターで新型コロナウイルスに感染したことを報告、ビクトー・ベウフォートと対戦することになっていた9月11日の現役復帰戦が延期となった[52]

2023年1月、別居から6年以上たっていた妻のミリー・コレチャーと正式に離婚した[53][54]

訴訟歴など

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デ・ラ・ホーヤは1996年6月に当時15歳だった女の子をホテルに連れ込み強姦したとして1998年11月に告訴されていた[55]。この件はその後2001年に示談となり解決している[56]

2007年9月~12月、デ・ラ・ホーヤが赤いハイヒールを履き、全身網タイツなど女性もの下着を着用した写真が数枚ネット上に流出する。この写真を撮影したとされるストリッパーの女性がデラホーヤから写真を公開しないよう強制され精神的苦痛を受けたとして総額1億ドル(110億円)の損害賠償請求裁判を起こす。デラホーヤは写真はデジタル加工された偽物であるとしていた[57][58][59]

2020年9月8日、ゴールデンボーイ・プロモーションズ所属選手のサウル・アルバレスから、契約違反や詐欺、隠蔽等があったとして、ゴールデンボーイ・プロモーションズと共に、2億8千万ドル(約300億円)の損害賠償請求と契約解除を求める訴訟を起こされた[60][61][62][63][64]。11月6日に交渉が合意に達して、アルバレスとの契約を解除した[65]

2022年3月19日、ゲンナジー・ゴロフキンから、デ・ラ・ホーヤがプロモートした2018年9月に行われたサウル・アルバレス第2戦に関連しての未払い分があるとして、300万ドル(約3億9千万円)以上の損害賠償を求め提訴された[66][67]

エピソード

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  • 2021年9月1日、ロサンゼルス・タイムズでのインタビューで、自身が13歳の時に35歳ぐらいの中年女性に強姦され童貞を喪失し、そのことが一時期トラウマとなっていたことを告白した[68]
  • 自身が女性下着を着用した写真が流出したことについて、後のインタビューで、流出を止めるために、写真を撮影したロシア系のストリッパーの女性に2000万ドルを払ったこと、ロシアン・マフィアにも金を払ったがその際にデ・ラ・ホーヤの弁護士が体に盗聴器を仕掛けていないことを証明するために屋上のプールに飛び込んだこと、流出後には写真は偽物であると言わせるために法医学者に金を払ったことなどを赤裸々に明かしている[69]

現役復帰に関するエピソード

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  • 2021年3月26日、デ・ラ・ホーヤは、Trillerが7月3日に主催する興行で現役復帰すると発表した。現役復帰戦の対戦相手として、Trillerの親会社プロキシマメディアの最高経営責任者ライアン・カヴァノーは「UFCのビッグネーム」をターゲットにしていると明かしたが[70][71]、UFC代表ダナ・ホワイトは、UFCの会見で記者からUFCの選手がデ・ラ・ホーヤと対戦することを許可するか質問を受けると、「くだらない。君たちは50歳の男がボクシングすることについて本当に話をして、報道するのかい?」と一蹴した[72]
  • 2021年5月9日、デ・ラ・ホーヤが自身のInstagramに「この最悪に頭のおかしい野郎(ダナ・ホワイト)はジョルジュ・サンピエールが私と最大の報酬を稼ぐのを妨げたんだ」と、ダナ・ホワイトが2019年2月に総合格闘技を引退した元UFCのスター選手ジョルジュ・サンピエールにデ・ラ・ホーヤと対戦する許可を出さなかったと投稿した[73][74]。ライアン・カヴァノーも「ダナ・ホワイトとUFCは、ジョルジュ・サンピエールがオスカー・デ・ラ・ホーヤと戦うのを阻止したんだ。対戦はサンピエールとオスカー両者の夢だったんだ。電話やメールをダナにしたのに、折り返しの電話さえ無いんだ」と投稿した[75][76][77]。2021年5月16日、ダナ・ホワイトがUFCの会見で「彼らの電話に出てさえいないよ。 この馬鹿者は毎日電話をかけてくるんだ。そっちはそっちで勝手にやって、こっちのことは放っておいてくれ」と語った[78][79]。カヴァノーはこれに対して「ダナ・ホワイト、サンピエールに試合の許可を出してくれ。契約の成立にはあなたの承認を待っているだけなんだ」と投稿し[80]、デ・ラ・ホーヤも同様の投稿をした[81][82]
  • 2021年5月22日、デ・ラ・ホーヤが自身のSNSに「ダナ・ホワイトよ、サンピエールの戦うチャンスを妨害するのをやめてくれ。まず我々がリングに入るのはどうだろう、臆病者」と投稿して、ダナ・ホワイトに対戦を呼びかけた[83][84]
  • 2022年6月8日、デ・ラ・ホーヤがインターネット番組で「1000%謝罪をした。将来、ダナと一緒にやるべきことは沢山ある」と謝罪をしていたことを明らかにした[85]。これに対してダナは、謝罪に感謝をして受け入れつつも「あの男はあまりにも多くの損害を与えた」として、昔のような友人関係に戻るつもりはないと語った[86]

戦績

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  • アマチュアボクシング:228戦223勝(163KO・RSC)5敗
  • プロボクシング:45戦39勝(30KO)6敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1992年11月23日 1R 1:42 KO ラマー・ウィリアムズ   アメリカ合衆国 プロデビュー戦
2 1992年12月12日 1R 1:15 KO クリフ・ヒックス   アメリカ合衆国
3 1993年1月3日 2R 1:52 TKO パリス・アレキサンダー   アメリカ合衆国
4 1993年2月6日 4R 1:40 TKO カーチス・ストロング   アメリカ合衆国
5 1993年3月13日 4R 1:35 TKO ジェフ・メイウェザー   アメリカ合衆国
6 1993年4月6日 4R 判定3-0 マイク・グレーブル   アメリカ合衆国
7 1993年5月8日 4R 2:00 TKO フランク・アベラル   アメリカ合衆国
8 1993年6月7日 1R 終了 TKO トロイ・ドーシー   アメリカ合衆国
9 1993年8月14日 6R 2:10 TKO レナルド・カーター   アメリカ合衆国
10 1993年8月27日 4R 終了 TKO アンジェロ・ヌネス   アメリカ合衆国
11 1993年10月30日 1R 2:25 TKO ナルシソ・バレンズエラ   メキシコ
12 1994年3月5日 10R 終了 TKO ジミー・ブレダル   デンマーク WBO世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
13 1994年5月27日 3R 2:22 TKO ジョルジョ・カンパネラ   イタリア WBO防衛1
14 1994年7月29日 2R 0:39 KO ホルヘ・パエス   メキシコ WBO世界ライト級王座決定戦
15 1994年11月18日 3R 1:02 TKO カール・グリフィス   アメリカ合衆国 WBO防衛1
16 1994年12月10日 9R 1:07 TKO ジョン・アビラ   アメリカ合衆国 WBO防衛2
17 1995年2月18日 12R 判定3-0 ジョン・ジョン・モリナ   プエルトリコ WBO防衛3
18 1995年5月6日 2R 1:43 TKO ラファエル・ルエラス   メキシコ IBF・WBO世界ライト級王座統一戦
IBF獲得・WBO防衛4
19 1995年9月9日 6R 終了 TKO ヘナロ・エルナンデス   アメリカ合衆国 WBO防衛5
20 1995年12月15日 2R 終了 TKO ジェシー・ジェームズ・レイハ   アメリカ合衆国 WBO防衛6
21 1996年2月9日 2R 2:38 KO ダリル・タイソン   アメリカ合衆国
22 1996年6月7日 4R 2:37 TKO フリオ・セサール・チャベス   メキシコ WBC世界スーパーライト級タイトルマッチ
23 1997年1月18日 12R 判定3-0 ミゲル・アンヘル・ゴンザレス   アメリカ合衆国 WBC防衛1
24 1997年4月12日 12R 判定3-0 パーネル・ウィテカー   アメリカ合衆国 WBC世界ウェルター級タイトルマッチ
25 1997年6月14日 2R 2:54 KO デビッド・カマウ   ケニア WBC防衛1
26 1997年9月13日 12R 判定3-0 ヘクター・カマチョ   プエルトリコ WBC防衛2
27 1997年12月6日 8R 2:48 TKO ウィルフレッド・リベラ   プエルトリコ WBC防衛3
28 1998年6月13日 3R 1:56 TKO パトリック・シャルパンティエ   フランス WBC防衛4
29 1998年9月18日 9R 終了 TKO フリオ・セサール・チャベス   メキシコ WBC防衛5
30 1999年2月13日 12R 判定2-1 アイク・クォーティ   ガーナ WBC防衛6
31 1999年5月22日 11R 0:55 TKO オーバ・カー   アメリカ合衆国 WBC防衛7
32 1999年9月18日 12R 判定0-2 フェリックス・トリニダード   プエルトリコ WBC・IBF世界ウェルター級王座統一戦
WBC陥落
33 2000年2月28日 7R 3:00 KO ダレル・コーリー   アメリカ合衆国 WBC世界ウェルター級挑戦者決定戦
IBA世界ウェルター級王座決定戦
34 2000年6月17日 12R 判定1-2 シェーン・モズリー   アメリカ合衆国 WBC陥落
35 2001年3月24日 5R 1:16 TKO アルツロ・ガッティ   カナダ
36 2001年6月23日 12R 判定3-0 ハビエル・カスティリェホ   スペイン WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ
37 2002年9月14日 11R 1:48 TKO フェルナンド・バルガス   アメリカ合衆国 WBA・WBC世界スーパーウェルター級王座統一戦
WBA獲得・WBC防衛1
38 2003年5月3日 7R 2:54 TKO ルイス・ラモン・カンパス   メキシコ WBA防衛1・WBC防衛2
39 2003年9月13日 12R 判定0-3 シェーン・モズリー   アメリカ合衆国 WBA・WBC陥落
40 2004年6月5日 12R 判定3-0 フェリックス・シュトルム   ドイツ WBO世界ミドル級タイトルマッチ
41 2004年9月18日 9R 1:38 KO バーナード・ホプキンス   アメリカ合衆国 WBA・WBC・IBF・WBO世界ミドル級王座統一戦
WBO陥落
42 2006年5月6日 6R 1:25 TKO リカルド・マヨルガ   ニカラグア WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ
43 2007年5月5日 12R 判定1-2 フロイド・メイウェザー・ジュニア   アメリカ合衆国 WBC陥落
44 2008年5月3日 12R 判定3-0 スティーブ・フォーブス   アメリカ合衆国
45 2008年12月6日 8R 終了 TKO マニー・パッキャオ   フィリピン
テンプレート

獲得タイトル

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ペイ・パー・ビュー売上げ

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日付 イベント 売上げ
1995年5月6日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ラファエル・ルエラス 33万件[87]
1995年9月9日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ヘナロ・エルナンデス 22万件[87]
1997年1月18日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ミゲル・アンヘル・ゴンザレス 35万件[87]
1997年4月12日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. パーネル・ウィテカー 72万件[87]
1997年9月13日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ヘクター・カマチョ 56万件[87]
1997年12月6日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ウィルフレッド・リベラ 24万件[87]
1998年9月18日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フリオ・セサール・チャベス 2 52万件[87]
1999年2月13日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. アイク・クォーティ 57万件[87]
1999年9月18日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フェリックス・トリニダード 140万件[87]
2000年6月17日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. シェーン・モズリー 1 59万件[87]
2001年6月23日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ハビエル・カスティリェホ 40万件[87]
2002年9月14日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フェルナンド・バルガス 93万件[87]
2003年5月3日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. ルイス・ラモン・カンパス 35万件[87]
2003年9月13日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. シェーン・モズリー 2 95万件[87]
2004年6月5日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フェリックス・シュトルム 38万件[87]
2004年9月18日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. バーナード・ホプキンス 100万件[87]
2006年5月6日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. リカルド・マヨルガ 92万件[87]
2007年5月5日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. フロイド・メイウェザー・ジュニア 240万件[87]
2008年12月6日 オスカー・デ・ラ・ホーヤ vs. マニー・パッキャオ 125万件[87]

脚注

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脚注
  1. ^ 銅像のモデルになった2006年5月6日のリカルド・マヨルガをKOした後にコーナーの上に上ってファンの歓声に応える場面。
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 日外アソシエーツ (2012年). "オスカー デラホーヤ". コトバンク. 2018年4月20日閲覧
  2. ^ デラホーヤの銅像がステープルズ・センターに 「AFPBB News」 2008年12月2日
  3. ^ 『ボクシング・バイブル―ボクシングはいかに進化したか』1999年3月29日、アスペクト刊、ジョー小泉著、199頁(全339頁)。ISBN 978-4757204133
  4. ^ バルガス、薬物検査で陽性 王座戦でデラホーヤに敗北 共同通信社 2002年9月27日[リンク切れ]
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関連項目

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外部リンク

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前王者
ジミー・ブレダル
WBO世界ジュニアライト級王者

1994年3月5日 - 1994年(返上)

空位
次タイトル獲得者
レジリオ・ツール
空位
前タイトル保持者
ジョバンニ・パリージ
WBO世界ライト級王者

1994年7月29日 - 1996年(返上)

空位
次タイトル獲得者
アルツール・グレゴリアン
前王者
ラファエル・ルエラス
IBF世界ライト級王者

1995年5月6日 - 1995年7月(返上)

空位
次タイトル獲得者
フィリップ・ホリデー
前王者
フリオ・セサール・チャベス
WBC世界ジュニアウェルター級王者

1996年6月7日 - 1997年(返上)

空位
次タイトル獲得者
コンスタンチン・チュー
前王者
パーネル・ウィテカー
WBC世界ウェルター級王者

1997年4月12日 - 1999年9月18日

次王者
フェリックス・トリニダード
空位
前タイトル保持者
フェリックス・トリニダード
WBC世界ウェルター級王者

2000年2月28日 - 2000年6月17日

次王者
シェーン・モズリー
前王者
ハビエル・カスティリェホ
WBC世界スーパーウェルター級王者

2001年6月23日 - 2003年9月13日

次王者
シェーン・モズリー
前WBA正規王者
フェルナンド・バルガス
WBA世界スーパーウェルター級スーパー王者
2002年9月14日 - 2003年9月13日
次スーパー王者
シェーン・モズリー
前王者
フェリックス・シュトルム
WBO世界ミドル級王者

2004年6月5日 - 2004年9月18日

次王者
バーナード・ホプキンス
前王者
リカルド・マヨルガ
WBC世界スーパーウェルター級王者

2006年5月6日 - 2007年5月5日

次王者
フロイド・メイウェザー・ジュニア