オウンオピニオン
オウンオピニオン (Own Opinion) とは、1980年前後に活躍したインドの競走馬である。第1回ジャパンカップに出走したことで知られる。
オウンオピニオン | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1975年2月17日 |
父 | シミッド |
母 | プリータ |
母の父 | コーニッシュフレーム |
生国 | インド |
生産者 | Comproind Private Ltd. |
馬主 | M.A.M. Ramaswamy |
調教師 | A.B. David(インド) |
競走成績 | |
生涯成績 | 43戦27勝 |
獲得賞金 | 1,686,161ルピー |
来歴
編集当時のインド最強クラスの馬で、インドターフ招待カップ、インドセントレジャーなどに勝った。インドでの競走成績は41戦27勝。396kg(ジャパンカップ出走時)の小柄な馬体でありながら69kgの斤量を背負い勝った事もある。
同世代にロイヤルターン(32戦26勝、インド2000ギニー・ダービー)というかなり強い馬がいたが、1979年にはインドターフ招待カップでロイヤルターンを破り、さらに続くインドセントレジャーでもロイヤルターンの三冠を阻止した。
その2年後の1981年、第1回ジャパンカップに招待され日本へ向かった。日本では「インドのシンザン」の触れ込みで紹介された。前哨戦として11月8日のオープン競走(芝1800m)に出走。それまで日本の競馬に外国馬が出走した例は一度も無く、記念すべき初の外国馬となった。結果は馬場が合わなかったのか大差の最下位7着に敗れた。本番のジャパンカップも日本馬が歴史的大敗を喫する中、15頭中13着に終わっている。先着した2頭はカナダのステークスウィナーであるブライドルパース、ミスターマチョであった。この時既にオウンオピニオンは全盛期を過ぎていたと言われており、インド競馬では蹄鉄を付ける習慣が無かったことから2戦とも蹄鉄を付けずに出走するなど、恵まれない臨戦態勢も結果に響いた。
1992年、『競馬最強のデータ』誌が評論家や愛好者100人にジャパンカップ史上最も弱かった招待馬を尋ねたところ、うち44人がオウンオピニオンと答えた[1]。しかし、その中には競馬後進国のインド調教馬という偏見からか、ジャパンカップ本番でしんがり負けだったのがオウンオピニオンであると思い込んでいた者も多かったようである[1]。実際のしんがり負けはカナダ調教馬のミスターマチョと言う馬であった[1]。
血統表
編集オウンオピニオンの血統レリック系(マンノウォー系) / Fair Trial 5×5=6.25%、Nearco 5×5・5=9.38% | (血統表の出典) | |||
父 Simead 1968 イギリス |
父の父 *シルバーシャーク Silver Shark 1963 芦毛 アイルランド |
Buisson Ardent | Relic | |
Rose O'Lynn | ||||
Palsaka | Palestine | |||
Masaka | ||||
父の母 Meadow Pipit1961 栗毛 アイルランド |
Worden | Wild Risk | ||
Sans Tares | ||||
Rising Wings | The Phoenix | |||
Skylarking | ||||
母 Purita 1968 インド |
Cornish Flame 1948 栗毛 |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Stratton Street | Fairway | |||
Devonshire House | ||||
母の母 Pashmina1959 鹿毛 インド |
Fair Aid | Nasrullah | ||
Fair Portia | ||||
Tosca | Tarquinius Superbus | |||
Big Blaze F-No.6-f |
参考
編集- GREAT INDIAN THOROUGHBREDS - インディアレースによる紹介記事
脚注
編集- ^ a b c 本村1995、164頁。
参考文献
編集- 本村雅人『競馬学セミナー:緑の風に誘われて』晶文社、1995年11月25日。ISBN 978-4794962379。
関連項目
編集- デルシム (競走馬) - 本馬同様「トルコのヒカルイマイ」と当地のスターホース扱いを受けて同年に来日したが、屈腱炎を発症しジャパンカップに出走することなく帰国した。