エリザー・アルフォンゾ

ベネズエラの野球選手 (1979-)

エリザー・ヘスス・アルフォンゾEliezer Jesus Alfonzo , 1979年2月7日 - )は、ベネズエラアンソアテギ州プエルト・ラ・クルス英語版出身の元プロ野球選手捕手)。右投右打。

エリザー・アルフォンゾ
Eliezer Alfonzo
2009年8月3日
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 アンソアテギ州プエルト・ラ・クルス英語版
生年月日 (1979-02-07) 1979年2月7日(45歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1996年 アマチュアFA
初出場 2006年6月3日
最終出場 2011年9月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
  • メキシコシティ・レッドデビルズ (2013)

息子のエリザー・アルフォンゾ・ジュニアは2017年よりデトロイト・タイガース傘下でプレーしているプロ野球選手[1]

経歴

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2007年10月16日

プロ入りとカージナルス傘下時代

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1996年7月にドラフト外でセントルイス・カージナルスと契約。ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ(DSL)のDSLカージナルス英語版で三塁手としてプロデビューし、24試合に出場して打率.325を記録した。

1997年に捕手に転向し、ルーキー級ジョンソンシティ・カージナルス英語版で38試合に出場し打率.275、2本塁打、15打点を記録した。

ブルワーズ傘下時代

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2000年6月13日、前年(1999年)オフに行われたフェルナンド・ビーニャホアン・アセベドの交換トレードの後日発表選手として、ミルウォーキー・ブルワーズに移籍した[2]。移籍後は傘下A級ベロイト・スナッパーズで60試合に出場し、打率.267、5本塁打、27打点を記録した。

2001年はA級ベロイトで106試合に出場し、打率.277、14本塁打、48打点を記録した。

2002年はA級ハイデザート・マーベリックスとAA級ハンツビル・スターズの2球団合計81試合に出場し、打率.272、9本塁打、47打点を記録した。

カブス傘下時代

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2003年シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、シーズン開幕前の3月29日に自由契約となった。

独立リーグ時代

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2003年5月にノーザンリーグセントポール・セインツと契約した。68試合に出場し、打率.300、9本塁打、46打点を記録した。

マーリンズ傘下時代

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2004年フロリダ・マーリンズと契約した。A級ジュピター・ハンマーヘッズで105試合に出場し、打率.281、18本塁打、70打点を記録した。

ジャイアンツ時代

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2004年オフにサンフランシスコ・ジャイアンツと契約した。

2005年はA+級サンノゼ・ジャイアンツ英語版、AAA級ノーウィッジ・ナビゲーターズ英語版、AAA級フレズノ・グリズリーズの3球団に所属し、106試合に出場。打率.334、23本塁打、79打点という好成績を残した。

2006年6月3日のニューヨーク・メッツ戦でプロ11年目にしてメジャーデビューを果たし、この試合で初安打となる2点本塁打を放った。彼はジェイソン・シュミット投手の16奪三振を記録し、102年続いたジャイアンツの球団記録に並んだ。この年は脳震盪の症状で戦線離脱した正捕手マイク・マシーニーの代役として87試合に出場し、打率.266、12本塁打、39打点と、期待以上の成績を記録した。

2007年ベンジー・モリーナが加入したため、26試合の出場にとどまった。

2008年は開幕をマイナーで迎え、5月1日には薬物違反で50試合の出場停止処分が課された[3]。復帰後はメジャーで5試合に出場した。

パドレス時代

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2008年オフにサンディエゴ・パドレスと契約した。

2009年はメジャーで37試合に出場し、打率.175、2本塁打、8打点を記録した。

マリナーズ時代

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2009年11月20日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結び、翌年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[4]

2010年はマイナーで開幕を迎え、5月28日にメジャーに昇格[4]。13試合に出場したが打率.220、1本塁打、4打点に終わり、6月28日にDFAとなった[4]。10月5日にFAとなった[4]

ロッキーズ時代

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2011年1月28日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[4]。7月15日にメジャーに昇格し、25試合に出場して打率.267、1本塁打の成績を残していたが、9月14日に薬物検査に陽性反応を示したため100試合の出場停止処分を課された[5]2012年5月に処分取り消し)[6]

2012年6月4日に自由契約となった[4]

メキシカンリーグ時代

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2012年6月15日にリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)メキシコシティ・レッドデビルズと契約を結んだ。39試合に出場し、打率.361、15本塁打、47打点を記録した。オフの11月1日に自由契約となった[4]

ドジャース傘下時代

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2012年12月14日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ[4]

2013年スプリングトレーニングに招待選手として参加する予定だったが、オフシーズン中に母国ベネズエラでデング熱に罹患した。出国が許可されなかったため、ドジャースはキャンプへの招待を取り消したが、マイナー契約は残すことになった[7]。5月に以前所属したメキシコシティ・レッドデビルズにレンタル移籍した[4]

ドジャース退団後

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メキシカンリーグには2016年まで所属。以後も2006年から冬季に参戦している母国ベネズエラのウィンターリーグ(LVBP)2019-2020シーズンまでプレーを続け、現役を引退した[8]。LVBPでは通算139本塁打を放っている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2006 SF 87 309 286 27 76 17 2 12 133 39 1 0 4 3 9 7 7 74 10 .266 .302 .465 .767
2007 26 67 64 5 16 2 1 1 23 6 0 2 0 0 2 2 1 23 2 .250 .284 .359 .643
2008 5 11 11 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 4 2 .091 .091 .091 .182
2009 SD 37 117 114 6 20 3 0 2 29 8 0 0 0 0 3 0 0 34 0 .175 .197 .254 .451
2010 SEA 13 41 41 4 9 1 0 1 13 4 0 0 0 0 0 0 0 10 2 .220 .220 .317 .537
2011 COL 25 79 75 2 20 1 0 1 24 9 0 0 0 0 3 0 1 13 1 .267 .304 .320 .624
MLB:6年 193 624 591 44 142 24 3 17 223 67 1 2 4 3 17 9 9 158 17 .240 .271 .377 .648

脚注

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  1. ^ Ignacio Serrano (2023年11月2日). “Detroit apuesta por Eliézer Alfonzo Jr.”. El Emergente. 2024年3月3日閲覧。(スペイン語)
  2. ^ Cardinals finally get Fernando Vina in 1999 trade”. STLRedbirds.com (2021年11月26日). 2024年3月3日閲覧。
  3. ^ Alfonzo suspended 50 games Giants Minor League catcher found in violation of drug policy”. The Official Site of The San Francisco Giants. 2008年5月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i MLB公式プロフィール参照。2024年3月3日閲覧。
  5. ^ Troy E. Renck (2011年9月14日). “Rockies’ Eliezer Alfonzo suspended 100 games for second positive drug test”. The Denver Post. 2024年3月3日閲覧。
  6. ^ Eliezer Alfonzo ban dropped”. ESPN.com (2012年5月14日). 2024年3月3日閲覧。
  7. ^ Dylan Hernandez (2023年2月21日). “Eliezer Alfonzo replaced by Matt Wallach in Dodgers’ camp”. Los Angeles Times. 2024年3月3日閲覧。
  8. ^ ELIÉZER ALFONZO JR.: “MI MAYOR FORTALEZA ES SER UN BATEADOR DE PROMEDIO””. LVBP.com (2023年11月10日). 2024年3月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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