エドヴァルド・ミルゾヤン
エドヴァルド・ミハイロヴィッチ・ミルゾヤン(アルメニア語: Էդուարդ Միրզոյան,ロシア語: Э́двард Миха́йлович Мирзоя́н, 英語: Edvard Mikhailovich Mirzoyan, 1921年5月12日 - 2012年10月5日[1])は、アルメニアの作曲家。
エドヴァルド・ミルゾヤン | |
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ミルゾヤン(右)とアルメニアの作曲家ルーベン・サルキシャン(2011年10月) | |
基本情報 | |
生誕 | 1921年5月12日 |
出身地 | ソビエト連邦 ゴリ |
死没 | 2012年10月5日(91歳没) |
学歴 | エレバン音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト |
担当楽器 | ヴァイオリン |
経歴
編集1921年、ソビエト連邦時代のグルジア・ソビエト社会主義共和国(現在のジョージア)ゴリに生まれるが、1924年にエレバンに移住。エレバン音楽院で学んだ後、モスクワで学ぶ。
1947年、モスクワで弦楽四重奏曲第1番を作曲した。1948年からエレバン音楽院で教壇に立ち、1972年から1986年まで作曲学部長を務めた。また1957年から1991年までアルメニア作曲家連盟議長を務めた。
作曲作品と作風
編集作風はセルゲイ・プロコフィエフ、ドミートリイ・ショスタコーヴィチ、バルトーク・ベーラの影響を受け、その上にアルメニア民謡を取り入れたものである。 作品には交響曲、室内楽曲、歌曲、ピアノ曲、映画音楽がある。代表作には『ティンパニと弦楽のための交響曲』(1962)、『アラム・ハチャトゥリアンの思い出に寄せる詩碑銘』(1988)、連作ピアノ曲『祖母のアルバム』(1984)などがある。
家族・親族
編集- 父:ミハイル・ミルゾヤンも作曲家。