エドワルド・アファナーシエヴィチ・セーロフ[1]ロシア語: Эдуа́рд Афана́сьевич Серо́в, ラテン文字転写: Edward Afanasyevich Serov1937年9月9日モスクワ - 2016年9月19日サンクトペテルブルク}})はロシア出身の指揮者ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民芸術家(1990年授与)[2]

エドワルド・アファナーシエヴィチ・セーロフ
基本情報
生誕 (1927-11-09) 1927年11月9日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 モスクワ
死没 (2016-09-19) 2016年9月19日(79歳没)
ロシアの旗 ロシア サンクトペテルブルク
学歴 グネーシン音楽アカデミーキエフ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
担当楽器 ピアノ

略歴

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1937年モスクワに生まれ、幼少よりピアノヴァイオリンを学んだ。グネーシン音楽アカデミーキエフ音楽院で学んだ。キエフ・バレエ学校で指揮者として活動を始める一方で、レニングラード指揮法と作曲法を学び、1962年より指揮法クラスではエフゲニー・ムラヴィンスキーの助手を務めた。1964年レニングラード音楽院を卒業し、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の指揮者となった。

 
ヴォルゴグラード・フィルハーモニー管弦楽団と共に

第1回カラヤン国際指揮者コンクールでの受賞により注目され、新たに設立されたウリヤノフスク・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者に就任。その後1974年からはレニングラード室内管弦楽団(サンクトペテルブルク国立アカデミー交響楽団の前身)の首席指揮者となり、この職を1985年まで務めた。その後はレニングラード・フィルハーモニー交響楽団で指揮を執り、1987年からはヴォルゴグラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、1991年にはデンマークオーデンセ交響楽団の首席指揮者の職に就いた。1995年のシーズンからはサラトフ・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者となり2003年まで務めた。

生前は欧州各国のみならず、米国カナダ日本に招聘されて指揮を執り、ヴォルゴグラードで開催される音楽祭においては芸術監督を務めていた。こうした永年の功績に対し、2006年に母国ロシアより名誉賞が贈られた[2]

2016年、サンクトペテルブルクにて死去。

オーケストラ指揮者としての経歴

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  • 1962年-1968年 : レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 指揮者
  • 1969年-1974年 : ウリヤノフスク・フィルハーモニー管弦楽団 芸術監督兼首席指揮者
  • 1974年-1985年 : レニングラード室内管弦楽団 首席指揮者
  • 1985年-1990年 : レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 指揮者
  • 1987年-: ヴォルゴグラード・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者
  • 1991年-1996年 : オーデンセ交響楽団 首席指揮者
  • 1995年-2003年 : サラトフ・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者[2]

参考資料

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  1. ^ 併記されているロシア語名のとおり「セローフ」が正しい。
  2. ^ a b c Naxos Music Library - Edward Serov biograph 2017年5月7日閲覧