エドガー・G・ウルマー
エドガー・G・ウルマー(Edgar G. Ulmer、1904年9月17日 - 1972年9月30日)は、アメリカ合衆国の映画監督[3]。『恐怖のまわり道』を手がけたことで知られている[4]。
エドガー・G・ウルマー Edgar G. Ulmer | |
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記念碑 | |
本名 | Edgar Georg Ulmer[1] |
別名義 | John Warner |
生年月日 | 1904年9月17日 |
没年月日 | 1972年9月30日(68歳没) |
出生地 | オーストリア=ハンガリー帝国 オロモウツ |
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州 |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1930年 - 1964年 |
配偶者 | シャーリー・ウルマー[2] |
経歴
編集1904年9月17日、オロモウツに生まれる[3]。マックス・ラインハルトとともにアメリカ合衆国へ渡った彼は、ユニバーサル・スタジオにてセット・デザインを手がけたほか[3]、ドイツでは、F・W・ムルナウ監督の映画のプロダクション・デザインを手がけた[3]。
1930年、ロバート・シオドマクとの共同監督による『日曜日の人々』で映画監督デビュー[3]。1934年、ベラ・ルゴシとボリス・カーロフを主演に迎えたホラー映画『黒猫』がヒットする[3]。その後、カール・レムリの甥の妻だったシャーリー・カスラー・アレクサンダーとの交際により、メジャー・スタジオから排斥される[3][注 1]。「ジョン・ワーナー」名義で西部劇『Thunder Over Texas』を監督したのち、ニューヨーク州へ渡り、イディッシュ語の映画や公衆衛生のドキュメンタリーなどを監督する[3]。
1942年より、B級映画専門スタジオのプロデューサーズ・リリーシング・コーポレーションにて、数々の作品を手がける[3]。1944年、ジョン・キャラダイン主演のホラー・スリラー『青髯』を監督する[3]。1945年、トム・ニール主演のフィルム・ノワール『恐怖のまわり道』を監督する[3]。1964年の第二次世界大戦ドラマ『The Cavern』を最後に、監督業を引退する[3]。
フィルモグラフィー
編集映画
編集- 日曜日の人々(1930年)
- Damaged Lives(1933年)
- 黒猫(1934年)
- Thunder Over Texas(1934年)
- ハーレムにかかる月(1939年)
- 忘れられた罪の島(1943年)
- 鎖につながれた女たち(1943年)
- 青髭(1944年)
- 恐怖のまわり道(1945年)
- 奇妙な幻影(1945年)
- 奇妙な女(1946年)
- カーネギー・ホール(1947年)
- 野望の果て(1948年)
- 地中海の虎(1949年)
- スリの聖ベニー(1951年)
- 惑星Xから来た男(1951年)
- 裸の夜明け(1955年)
- ハンニバル(1959年)
- 驚異の透明人間(1960年)
- 未来からの脱出(1960年)
- アトランタイド(1961年)
- The Cavern(1964年)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ O'Hehir, Andrew (2014年6月27日). “Filmmakers - ‘Five Came Back,’ by Mark Harris, and More”. The New York Times. 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b Bergan, Ronald (2000年9月4日). “Shirley Ulmer - Queen of B-movies, as screenplay writer and script girl”. The Guardian. 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m Barson, Michael. “Edgar G. Ulmer”. Encyclopædia Britannica. 2015年8月24日閲覧。
- ^ Sachs, Ben (2014年10月2日). “Head to Doc Films this fall for Yiddish-language films made between 1937 and 1940”. Chicago Reader. 2015年8月24日閲覧。
関連文献
編集- 柳下毅一郎「エドガー・G・ウルマーのイディッシュ映画」『興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史』青土社、2003年、216-224頁。ISBN 4-7917-6097-2。