エティエンヌ・ベズー
フランス王国の数学者
エティエンヌ・ベズー(フランス語:Étienne Bézout、1730年3月31日 - 1783年9月27日)は、フランス王国ヌムール出身の数学者。
エティエンヌ・ベズー | |
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生誕 |
Étienne Bézout 1730年3月31日 フランス王国ヌムール |
死没 |
1783年9月27日(53歳没) フランス王国en:Avon, Seine-et-Marne |
国籍 | フランス |
研究分野 | 代数幾何学 |
研究機関 | アカデミー・フランセーズ |
主な業績 | ベズーの定理ほか |
プロジェクト:人物伝 |
生涯
編集1730年3月31日、フランス王国のヌムールに生まれ、1758年にアカデミー・フランセーズへ入会する。
1779年にパリで著された『Théorie générale des équations algébriques』は今日のベズーの定理の由来となっているが、脚注1にも示した通り完全なものではなく、その後の1873年に同国出身の数学者ジョルジュ・アンリ・アルファンによって初めて証明され、1930年にオランダの数学者ファン・デル・ヴェルデンによって初等的な証明を与えた。
1783年9月27日、セーヌ=エ=マルヌ県アヴォン村で没する。
脚注
編集- ^ ベズ―の定理は当記事であるエティエンヌ・ベズーが由来であるが、厳密にはベズーがこの定理の証明を公表したのは、1779年に出版した 『Théorie générale des équations algébriques』に於いてである。しかし、彼は多変数の方程式について現代的な代数の記法を知らなかったため、その証明は非常に煩雑なものであった。定理が成り立つための正確な設定も行わなかったため、現代的には彼の証明は正しくなく、ヒューリスティクスに類するものと見なされている。詳細はベズーの定理#歴史を参照されたい。
- The original version of this article was taken from the public domain Rouse History of Mathematics