エステルハージ・ペーテル
エステルハージ・ペーテル(ハンガリー語: Esterházy Péter, 1950年4月14日 - 2016年7月14日[1])は、ハンガリーの小説家。ドイツ語では、ペーター・エスターハージーと呼ばれる。ハンガリー貴族エステルハージ家の末裔にあたり、祖父はオーストリア=ハンガリー帝国最末期にハンガリーの首相を務めたエステルハージ・モーリツである。
Péter Esterházy エステルハージ・ペーテル | |
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エステルハージ・ペーテル(2010) | |
誕生 |
1950年4月14日 ハンガリー ブダペスト |
死没 |
2016年7月14日 (66歳没) ハンガリー ブダペスト |
国籍 | ハンガリー |
最終学歴 | エトヴェシュ・ロラーンド大学 |
主な受賞歴 |
ヴィレニツァ国際文学賞(1988) オーストリア国家賞(1999) ドイツ書籍協会平和賞(2004) |
ウィキポータル 文学 |
生涯
編集貴族の末裔の家系であるため、第二次世界大戦後、共産主義政権によって一時家財を没収され、地方への強制移住を余儀なくされた。20代で小説を書き始め、1976年にデビューし、その斬新な作風や言語感覚によってハンガリー文学の新世代を代表する作家となった。独特な言葉の扱い方や、引用やパロディを頻繁に用いるその手法などから、しばしば「ポストモダン的」と評される。代表作には『ファンチコーとピンタ』や『純文学入門』、『フラバルの本』などがある。
日本語に翻訳された作品
編集著作
編集- Fancsikó és Pinta (1976) (『ファンチコーとピンタ』)
- Pápai vizeken ne kalózkodj (1977) (『ポープの海で海賊はするな』)
- Termelési-regény. Kisssregény (1979) (『創作の小説』)
- Függő (1981) (『従属文』)
- Ki szavatol a lady biztonságáért? (1982) (『誰がレディの無事を保証するのか?』)
- Fuharosok (1983) (『荷馬車の御者』)
- Daisy (1984) (『デイジ-』)
- Kis Magyar Pornográfia (1984) (『ハンガリー・リトルポルノグラフィ』)
- A szív segédigéi (1985) (『心の助動詞』)
- Bevezetés a szépirodalomba (1986) (『純文学入門』)
- Tizenhét hattyúk (1987) (『17羽の白鳥』)
- A kitömött hattyú (1988) (『剥製の白鳥』)
- Biztos kaland (1989) (『安全な冒険』)
- Hrabal könyve (1990) (『フラバルの本』)
- Az elefántcsonttoronyból (1991) (『象牙の塔から』)
- A halacska csodálatos élete (1991) (『小さな魚の不思議な一生』)
- Hahn-Hahn grófnő pillantása (1992) (『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』)
- Élet és irodalom (1993)
- Amit a csokornyakkendő-ről tudni kell... (1993)
- A vajszínű árnyalat (1993)
- Egy kékharisnya följegyzéseiből (1994)
- Búcsúszimfónia – A gabonakereskedő (1994)
- Egy nő (1995)
- Egy kék haris (1996)
- Irene Dische, Hans Magnus Enzensberger, Michael Sowa (1996)
- Harmonia caelestis (2000)
- Javított kiadás (2002)
- A szabadság nehéz mámora (2003)
参考文献
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ “エステルハージ氏死去 ハンガリーの現代作家”. 北海道新聞. (2016年7月15日) 2016年7月15日閲覧。
- ^ “エステルハージ氏死去/ハンガリーの現代作家”. 四国新聞社. (2016年7月15日) 2020年2月15日閲覧。
- ^ “エステルハージ・ペーテル氏死去”. 時事ドットコムニュース. (2016年7月15日) 2017年6月7日閲覧。