エクスマス子爵
エクスマス子爵(英: Viscount Exmouth)は、イギリスの子爵、貴族。連合王国貴族爵位。アメリカ独立戦争やナポレオン戦役に従軍した海軍軍人エドワード・ペリュー提督が1816年に叙位されたことに始まる。
エクスマス子爵 Viscount Exmouth | |
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Arms:Gules a Lion passant guardant in chief two Civic Wreaths Or on a Chief of Augmentation wavy Argent a representation of Algiers and on the dexter side a Man of War bearing the Flag of an Admiral of the Blue all proper Crest:Upon Waves of the Sea the Stern of a Wrecked Ship inscribed "Dutton" (East Indiaman) upon a Rocky Shore off Plymouth Garrison (i.e. in the background a Hill upon the top of which a Tower with a Flag hoisted) Supporters:Dexter: a Lion guardant Or navally crowned Azure resting the sinister hind paw on an Increscent Argent; Sinister: a Human Figure intended to represent a Christian Slave naked from the waist upwards a Cloth around the loins and thighs and legs habited in Azure and Argent striped Trousers holding in the right hand a Cross Or and in his left Fetters broken proper
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創設時期 | 1816年12月10日 |
創設者 | 摂政ジョージ (国王ジョージ3世名代) |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代子爵エドワード・ペリュー |
現所有者 | 10代子爵ポール・ペリュー |
相続人 | エドワード・ペリュー閣下 |
付随称号 | エクスマス男爵 (トレヴェリーの)準男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | 神こそわが助け (Deo Adjuvante)ほか。 |
現当主は1994年よりスペイン貴族爵位のオリアス侯爵を兼ねる。 |
歴史
編集エドワード・ペリュー(1757-1833)はアメリカ独立戦争、フランス革命戦争、ナポレオン戦役に従軍した海軍軍人である[1][2]。彼は座礁した東インド会社貿易船の乗組員救助の功績から1796年12月8日に「(トレヴェリーの)準男爵(Baronet, of Treverry)」を授けられた[1][3]。また、地中海艦隊司令長官在職中の1814年6月1日にも「デヴォン州カノンテインのエクスマス男爵(Baron Exmouth, of Canonteign in the County of Devon)」に叙されている[1][4][5][3]。ペリューは続く1816年にバーバリ諸国に対して英蘭連合艦隊を率いて出撃しアルジェ砲撃を行ったのち、市内にいたキリスト教徒奴隷を解放した[1][2]。この武勲によって同年12月10日に「エクスマス子爵(Viscount Exmouth)」を得て、子爵家の始祖となった[4][3][6]。
その子の2代子爵ポウノル(1786-1833)は海軍勤務後は政界に転じて、ローセストン選挙区選出の庶民院議員を務めた人物である[7]。彼は父より襲爵後わずか11ヶ月で死去したため、その息子エドワードが爵位を襲った[4][8]。
その3代子爵エドワード(1811-1876)が男子のないまま没すると、爵位は同名の甥エドワード(4代子爵、1861-1899)が相続した[9][4]。しかし、その子の5代子爵エドワード(1890-1922)ののちは2代子爵の系統も途絶えたため、爵位は遠縁ヘンリー・ペリューに継承されている[注釈 1][4]。
ヘンリー(1828-1923)は1873年にアメリカ合衆国に帰化していたほか、襲爵した際には94歳という高齢であった[10]。そのため、彼が襲爵から半年後に死去すると、長男チャールズが爵位を相続した[4]。その7代子爵にも子がなかったことから、爵位は親族エドワードが継承した[注釈 2][4]。以降は8代子爵エドワード(1868-1951)の直系男子によって爵位は継承され続けている[4]。
8代子爵の孫の10代子爵ポール(1940-)はスペイン政府より母の帯びていたオリアス侯爵[注釈 3]の継承を許された[11]。そのため、彼以降の子爵家当主はスペイン貴族爵位も併せ持つこととなった。その彼が2021年現在の子爵家現当主である。
紋章に刻まれるモットーは二つあり、上部に『神こそ我が助け(Deo Adjuvante)』の言葉が、下部に初代子爵のアルジェ砲撃の功から『Algiers』の文字が刻まれる[4][12]。
一族のかつての邸宅は、デヴォン州エクセターに程近いカノンテイン・ハウス(Canonteign House)があった[12]。
現当主の保有爵位
編集現当主である第10代エクスマス子爵ポール・ペリューは以下の爵位を有する[4]。
- 第10代エクスマス子爵(10th Viscount Exmouth)
(1816年12月10日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第10代デヴォン州カノンテインのエクスマス男爵(10th Baron Exmouth, of Canonteign in the County of Devon)
(1814年6月1日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第10代(トレヴェリーの)準男爵(10th Baronet, of Treverry)
(1796年12月8日の勅許状によるグレートブリテン準男爵位)
海外爵位
編集エクスマス子爵(1816年)
編集- 初代エクスマス子爵エドワード・ペリュー (1757–1833)
- 第2代エクスマス子爵ポウノル・ペリュー (1786–1833)
- 第3代エクスマス子爵エドワード・ペリュー (1811–1876)
- 第4代エクスマス子爵エドワード・フリートウッド・ジョン・ペリュー (1861–1899)
- 第5代エクスマス子爵エドワード・アディントン・ハーグレイヴス・ペリュー (1890–1922)
- 第6代エクスマス子爵ヘンリー・エドワード・ペリュー (1828–1923)
- 第7代エクスマス子爵チャールズ・アーネスト・ペリュー (1863–1945)
- 第8代エクスマス子爵エドワード・アーヴィング・ポウノル・ペリュー (1868–1951)
- 第9代エクスマス子爵ポウノル・アーヴィング・エドワード・ペリュー (1908–1970)
- 第10代エクスマス子爵ポール・ペリュー (1940- )
爵位の法定推定相続人は、現当主の息子エドワード・ペリュー閣下(1978-)[4]。
系譜図
編集初代エクスマス子爵 エドワード・ペリュー (1757-1833) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第2代エクスマス子爵 ポウノル・ペリュー (1786-1833) | サー・フリートウッド・ペリュー (1789–1861) | ジョージ・ペリュー閣下 (1793–1866) | エドワード・ペリュー閣下 (1799–1869) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3代エクスマス子爵 エドワード・ペリュー (1811-1876) | パーシー・ペリュー閣下 (1814–1848) | ポウノル・ペリュー閣下 (1823–1851) | フリートウッド・ペリュー閣下 (1830–1866) | バリントン・ペリュー閣下 (1833–1858) | トマス・ペリュー (1818–1819) | 第6代エクスマス子爵 ヘンリー・ペリュー (1828-1923) | ポウノル・ペリュー閣下 (1837–1872) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第4代エクスマス子爵 エドワード・ペリュー (1861-1899) | ウィリアム・ペリュー (1859–1923) | 第7代エクスマス子爵 チャールズ・ペリュー (1863-1945) | 第8代エクスマス子爵 エドワード・ペリュー (1868-1951) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第5代エクスマス子爵 エドワード・ペリュー (1890-1922) | 第9代エクスマス子爵 ポウノル・ペリュー (1908-1970) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第10代エクスマス子爵 ポール・ペリュー (1940-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(爵位の法定推定相続人) エドワード・ペリュー閣下 (1978-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
編集注釈
編集- ^ ヘンリー・ペリューは初代子爵のヤンガーソンの子孫にあたる。
- ^ 8代子爵エドワードは初代子爵のヤンガーソンのなかでも末弟エドワード・ペリュー(1799-1869)の孫にあたる。
- ^ オリアス侯爵(西: Marquesado de Olías)は、1625年創設のスペイン貴族爵位。フランシスコ・デ・オロスコ=リベラが叙位されたことに始まる。
出典
編集- ^ a b c d Christopher D. Hall. "Pellew, Edward, first Viscount Exmouth". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/21808。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b 岡部 いさく 著、小川 光二 編『英国軍艦勇者列伝』(初版)大日本絵画、東京都,千代田区、2012年。ISBN 9784499230865。
- ^ a b c Cokayne, Gibbs & Doubleday 1926, p. 225.
- ^ a b c d e f g h i j k Heraldic Media Limited. “Exmouth, Viscount (UK, 1816)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2021年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月11日閲覧。
- ^ "No. 16898". The London Gazette (英語). 14 May 1814. 2021年2月13日閲覧。
- ^ "No. 17175". The London Gazette (英語). 21 September 1816. 2021年2月13日閲覧。
- ^ P. A. Symonds (1986). "PELLEW, Pownoll Bastard (1786-1833), of Canonteign, nr. Chudleigh, Devon.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月28日閲覧。
- ^ Cokayne, Gibbs & Doubleday 1926, p. 225-226.
- ^ Cokayne, Gibbs & Doubleday 1926, p. 226.
- ^ "Pellew, Henry (PLW846HE)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ Antonio Luque García (2005) (Spanish). Grandezas de España y títulos nobiliarios. Ministerio de Justicia. p. 258. ISBN 978-84-7787-825-4 9 April 2017閲覧。
- ^ a b Arthur G.M. Hesilrige『Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc』Wellesley College Library、London, Dean、1921年、358頁 。
参考文献
編集- Cokayne, G. E.; Gibbs, Vicary & Doubleday, H. A., eds (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat). 5 (2nd ed.). London: The St Catherine Press