ウダイ・シング (メーワール王)
ウダイ・シング(Udai Singh, - 1473年)は、北インドのラージャスターン地方、メーワール王国の君主(在位:1468年 - 1473年)。ウダイカラン(Udaikaran)、ウーダー(Uda)、ウダヤ(Udaya)とも呼ばれる。
ウダイ・シング Udai Singh | |
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メーワール王 | |
在位 | 1468年 - 1473年 |
別号 | マハーラーナー |
出生 |
不詳 |
死去 |
1473年 デリー |
王朝 | シソーディヤー朝 |
父親 | クンバー |
宗教 | ヒンドゥー教 |
生涯
編集メーワール王国の君主クンバーの息子として、チットールガルで誕生した[1][2]。
1468年、父クンバーをクンバルガルで暗殺したことにより、王位を継承した[1][2]。これにより、兄弟間の争いが勃発し、ウダイ・シングは間もなくチットールガルを追われ、厳しい結果を残すこととなった[3]。追放された彼はデリー・スルターン朝の君主と自身の娘を結婚させ、同盟を結ぼうとした[4]。
1473年、ウダイ・シングは結婚式の直前に雷に打たれ、デリーで死亡した[4]。死後、弟のラーイ・マルが王位を継承した。[1][2]。
脚注
編集- ^ a b c Udaipur (Princely State)
- ^ a b c UDAIPUR (Mewar) (Princely State)
- ^ チャンドラ『中世インドの歴史』、p.178
- ^ a b Maharana Udai Singh I
参考文献
編集- サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。