ウォルター・ラングレー
ウォルター・ラングレー(Walter Langley、1852年6月8日 - 1922年3月21日)はイギリスの画家である。「外光派」の画家のグループ「ニューリン派」の画家たちが集まったイングランドのコーンウォールの漁村ニューリンに最初に移って制作を始めた画家の一人である。
ウォルター・ラングレー Walter Langley | |
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生誕 |
1852年6月8日 イギリス, バーミンガム |
死没 |
1922年3月21日 イギリス, ペンザンス |
運動・動向 | ニューリン派 |
略歴
編集バーミンガムで仕立て屋の息子に生まれた[1]。15歳から版画家の工房で働いた。21歳になった時、奨学金を得てロンドンのサウス・ケンジントン美術学校(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)で2年間工芸を学んだ。バーミンガムに戻った後、画家になり1881年に王立バーミンガム芸術家協会(Royal Birmingham Society of Artists)の準会員に選ばれた。バーミンガムの顧客から毎年、収入が得られるようになり、その資金で家族と1882年にニューリンに移り、ニューリンで漁師などを題材に描き始めた[2] 。1884年に王立バーミンガム芸術家協会の正会員になった。バーミンガムでの友人の画家エドウィン・ハリスが1883年にニューリンに移ってきて、「ニューリン派」は形成され始めた。
労働者階級の出身で、働く人々やその家族への共感をこめて描いたことで知られる。初期の版画職人としての技術は細部の描写に生かされている。「ニューリン派」の画家たちは人気を得たが、1892年ころまで水彩画を主に描いていたこともあって、はじめラングレーの人気は高くなかったが[3]、後に評判は上がり、レフ・トルストイの著書『芸術とは何か』 (1897-98年)の中でも高く評価された[4]。
作品
編集-
「引き潮の間」(1901)
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「ニューリンの風景」
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「挨拶」(1904)
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「網の修繕」 (1905)
脚注
編集- ^ 1861 Census, RG9; Piece: 2136; Folio: 72; Page: 8
- ^ Flynn, Brendan (2014). A Place for Art: The Story of the RBSA. The Royal Birmingham Society of Artists. ISBN 978-0-9930294-0-0
- ^ Fox, Caroline and Greenacre, Francis, "Walter Langley", Painting in Newlyn 1880-1930, London, Barbican Art Gallery, 1985, pp 62-65
- ^ Tolstoy, Leo, What is Art Archived 2008-11-22 at the Wayback Machine., (Translated by Richard Pevear and Larissa Volokhonsky)
参考文献
編集- Roger Langley, Walter Langley: Pioneer of the Newlyn Art Colony, Sansom & Co.