ウォルター・デヴァルー (第5代ヘレフォード子爵)

第5代ヘレフォード子爵ウォルター・デヴァルー英語: Walter Devereux, 5th Viscount Hereford1578年 - 1658年1月5日以前)は、イングランドの政治家、貴族。

経歴

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1578年に初代準男爵サー・エドワード・デヴァルー英語版(初代ヘレフォード子爵ウォルター・デヴァルーの末息子)とその妻キャサリン・アーデンの間の長男として生まれる[1][2]

1614年の議会でスタッフォード選挙区英語版から選出されて庶民院議員となった。さらに1621年から1622年の議会でもマールバラ選挙区英語版から、1624年から1625年の議会でもウスターシャー選挙区英語版から選出されて庶民院議員を務めた[1][2]

1622年9月22日に父が死去し、第2代準男爵位を継承した[2]1646年9月14日に本家筋にあたる第3代エセックス伯・第4代ヘレフォード子爵ロバート・デヴァルーが生存している男子なく死去したため、エセックス伯爵位は廃絶したが、ヘレフォード子爵位は初代にさかのぼっての分流である彼によって継承された[2]

1658年1月5日以前に死去している[1][2]

爵位/準男爵位

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1622年9月22日の父の死により以下の準男爵位を継承[2]

  • 第2代(ウォリック州におけるブロムウィッチ城の)準男爵 (2nd Baronet, styled "of Castle Bromwich, co. Warwick")
(1611年11月25日の勅許状によるイングランド準男爵位)

1646年9月14日に親族の死により以下の爵位を継承[2]

(1550年2月2日の勅許状によるイングランド貴族爵位)

家族

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エリザベス・ベスポールと最初の結婚をしたが、彼女との間に子供はできなかった。ついでエリザベス・ナイトレイと再婚。彼女との間に第6代ヘレフォード子爵位を継承するレスター・デヴァルー(1617-1676)を儲けた[1][2]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d Lundy, Darryl. “Sir Walter Devereux, 5th Viscount Hereford” (英語). thepeerage.com. 2015年12月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Hereford, Viscount (E, 1550)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年12月17日閲覧。
イングランド議会 (en
先代
ジョージ・クラドック英語版
アーサー・イングラム
スタッフォード選挙区英語版選出庶民院議員
1614年
同一選挙区同時当選者
トマス・ギブス
次代
マシュー・クラドック
リチャード・ディオット英語版
先代
リチャード・ディッグス英語版
ビーチャム卿
マールバラ選挙区英語版選出庶民院議員
1621年 - 1622年
同一選挙区同時当選者
リチャード・ディッグス英語版
次代
リチャード・ディッグス英語版
サー・フランシス・シーモア英語版
先代
サー・トマス・リトルトン準男爵英語版
サー・サミュエル・サンズ
ウスターシャー選挙区英語版選出庶民院議員
1624年
同一選挙区同時当選者
サー・トマス・リトルトン準男爵英語版
次代
サー・トマス・リトルトン準男爵英語版
ウィリアム・ラッセル
イングランドの爵位
先代
ロバート・デヴァルー
第5代ヘレフォード子爵
1646年 - 1658年
次代
レスター・デヴァルー
イングランドの準男爵
先代
エドワード・デヴァルー英語版
第2代準男爵
1622年 - 1658年
次代
レスター・デヴァルー