ウェルキンゲトリクス

紀元前1世紀ガリアの人物

ウェルキンゲトリクス(Vercingétorix [1]紀元前72年 - 紀元前46年)は、ガリア(現在のフランス)に住むケルト人ガリア人)の一部族であるアルウェルニ族の出身で、古代ローマのガリア侵略に対して抵抗した人物である。フランス最初の英雄と称される。ヴェルキンゲトリクスヴェルチンジェトリクスヴェルサンジェトリクスフランス語読み仮名転写)とも表記される。

ウェルキンゲトリクスの像(フレデリク・バルトルディ作、クレルモン=フェラン、中央広場)

生涯

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"Vercingétorix jette ses armes aux pieds de César"1899年フランス人画家リオネル・ロワイエ英語版作。ル・ピュイ=アン=ヴレ、クロザティエ博物館[cf.fr]所蔵) アレシアの戦いにて、カエサル(赤いトガをまとう人物)の軍門に下り、勝利者の足元に武器を投げ捨ててみせるウェルキンゲトリクス(馬上の人)。

父のケルティルがローマと戦うためガリア諸部族(ガリア人[ガリアのケルト人]諸部族)をまとめ上げた後に暗殺されている [2]。 その後20歳前後で族長[3]となり、ガイウス・ユリウス・カエサルガリア戦争において、それまで統率の執れていなかったガリア諸部族(ガリア人[ガリアのケルト人]諸部族)をまとめ上げて対ローマ統一部隊を組織すると、ガリア各地でゲリラ戦やローマ軍の兵站線の寸断、焦土作戦などを展開し、ローマ軍を苦しめた。アウァリクム包囲戦でアウァリクムを陥落させられたが、ゲルゴウィアで反撃、ローマ軍に勝利した(ゲルゴウィアの戦い)。

しかし、最終的にはガリアの都市アレシア(現在のディジョンに近い地域)に追い詰められ、ローマ軍に包囲された。突破作戦を決行するも失敗し、部下達の保全を条件についに降伏、投降した(アレシアの戦い)。その後、ウェルキンゲトリクスはローマへと送られ、6年間トゥッリアヌムに投獄された後、カエサルの凱旋式が行われた際に処刑された。カエサルは基本的に敵に回った人間でも処刑することがなかった(蛮族に対してもやや基準が厳しいが、人質の倍増で済ますことがほとんど)が、若くして統一組織のないガリアの諸部族をまとめあげ、しばしばローマ軍を打ち破った彼に対してだけはそうはしなかった。優秀すぎたために危険人物であるという政治的な判断によるものである。

ガリア最初の英雄

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近代に至ってもウェルキンゲトリクスはフランス最初の英雄、ガリア解放の英雄とされ、かつてアレシアの町があった現在のアリーズ・サント・レーヌ英語版にはナポレオン3世の命によって銅像が建てられた。また、フランス人彫刻家フレデリク・バルトルディ作のウェルキンゲトリクスの像が、クレルモン=フェランの中央広場に建てられた。そのほか、サン=ジェルマン=アン=レーには彫刻家エメ・ミレー作の像が建てられている。

最近では、1959年に始まったフランス発でヨーロッパとその旧植民地全体へ広がった人気漫画アステリックス』シリーズにはウェルキンゲトリクスの姿が投影されている。

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ 当時のラテン語(ローマ側の公用語)による綴り字は、"VERCINGETORIX"、ほか。
  2. ^ 日本経済新聞 2014年2月2日最終面p32 「英雄の父」(佐藤賢一)。
  3. ^ 族長 :tribal chief、chieftain (wikt:en)。

関連項目

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