よみうりオープンゴルフトーナメント
よみうりオープンゴルフトーナメントは、1979年から2006年まで、毎年6月第3週に讀賣テレビ放送などの主催により開催されていた日本ゴルフツアー機構(JGTO)公認の男子プロゴルフトーナメントの一つである。本項目は1970年から1978年まで開催されていたウィザードゴルフトーナメントについても取り上げる。
概要
編集1970年に「ウィザードゴルフトーナメント」として発足した。この名称で行われていた時は和歌山県の橋本カントリークラブで開催されていた。1974年に読売テレビが主催者に加わったため、大会名の前に「YTV報知カップ」と付け加えられた。1978年には国内トーナメントで初めて副賞に外国車が贈呈された[1]。
1979年、「よみうりオープンゴルフトーナメント」に大会名を変更。会場も読売テレビと読売新聞大阪本社が共同で運営する読売ゴルフ所有で、兵庫県西宮市にあるよみうりカントリークラブ(読売ゴルフメンバーコース)[2]で開催された[3]。ただし、1996年だけクラブハウスの工事が行われた関係上、東京都江東区の埋立地・臨海副都心にある若洲ゴルフリンクスで開催された[4]。1981年までは5月に開催されていたが、1982年の大会から日本プロゴルフ協会の公認競技となり、6月に開催を移行した[3]。この大会はシーズン前半戦のヤマとなる大会で、内外の主力選手が多数出場していた。
特に近年は全英オープン大会の日本代表予選も兼ねている事から、日本ツアー所属者にとってはこの大会で賞金を獲得して全英出場に近づけようとする選手の白熱した攻防が展開されていた。
2006年大会は天候不順などの影響を受けて中断する時間が多数発生したため、日本男子ツアー史上初の3日間連続サスペンデッドとなった。また当時の冠スポンサーだったマンダムの撤退を受けて、2006年の大会で打ち切り。2007年からは「全英への道 ミズノオープンゴルフトーナメント」と統合され、全英への道 ミズノオープンよみうりクラシックとして行われ、会場も引き続きよみうりカントリークラブで行われていたが、読売グループ企業の共催からの撤退を受け(ただし読売新聞大阪本社・報知新聞社・読売テレビは引き続き特別協力として関与)[5]、「全英への道 ミズノオープン」となり、会場も岡山県笠岡市の「JFE瀬戸内海ゴルフ倶楽部」に舞台を移して開催されるようになった。しかし、2022年大会からは、大会自体は継続したものも特別協力していた3社が撤退。同時にテレビ中継からインターネット中継に移行している[6]。現在は読売テレビ制作・ゴルフトーナメントのテレビ放送は、『富士フイルム・スタジオアリス女子オープン』のみとなった。[7]
協賛スポンサー
編集歴代優勝者
編集ウィザードゴルフトーナメント
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- 1970年: 謝永郁
- 1971年: ピーター・トムソン
- 1972年: 尾崎将司
- 1973年: 山本善隆
- 1974年: 杉原輝雄
- 1975年: グラハム・マーシュ
- 1976年: グラハム・マーシュ
- 1977年: グラハム・マーシュ
- 1978年: 中村通
よみうりオープントーナメント
よみうりサッポロビールオープントーナメント
- 1985年: 中嶋常幸
- 1986年: 鈴木弘一
- 1987年: 東聡
- 1988年: 倉本昌弘
- 1989年: 飯合肇
- 1990年: 藤木三郎
- 1991年: 中嶋常幸
- 1992年: デビッド・イシイ
- 1993年: 長谷川勝治
よみうりオープントーナメント
ポカリスエットよみうりオープントーナメント
よみうりオープントーナメント
テレビ中継
編集脚注
編集- ^ 読売テレビ50年社史編纂委員会 編纂『読売テレビ50年社史』2009年、107頁。
- ^ よみうりカントリークラブと名乗っているコースは東京(稲城市)、千葉(市原市)、静岡(掛川市)にもあるが、これらは株式会社よみうりランド(日本テレビ、読売新聞東京本社等が事業主体)運営による。
- ^ a b 読売テレビ50年社史編纂委員会 編纂『読売テレビ50年社史』2009年、136頁。
- ^ 読売ゴルフ株式会社(編)『読売ゴルフ50年史』2011年、11頁。
- ^ “大会概要│~全英への道~ミズノオープン│ゴルフ│ミズノ”. web.archive.org (2021年5月18日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ Corporation, Mizuno. “大会概要│~全英への道~ミズノオープン│ゴルフ│ミズノ”. www.mizuno.jp. 2022年5月26日閲覧。
- ^ “2023年大会概要|富士フイルム・スタジオアリス女子オープン|家族みんなで楽しめるゴルフトーナメント”. www.studio-alice.co.jp. 2023年4月11日閲覧。
- ^ かつては関西にも同姓同名の「渡辺司」選手がおり、新聞等では混乱防止のため「渡辺司・東」「渡辺司・西」と区別して記述していた。しかしトーナメントに常時出場していたのは関東の渡辺司であり、新聞等での記述もいつしか東西の区別を付けなくなったが、関東の渡辺司も2005年の賞金ランクが103位に終わった事により、この年をもってツアー競技の第一線から退いた。
- ^ 東京開催となった1996年も読売テレビが主管製作したが、この時は日本テレビが製作協力という形で携わった。
- ^ 開催当日、2002 FIFAワールドカップ日韓大会の放送日程の関係で、札幌ドームでの「読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦」が臨時にデーゲームで行われたため