インドネシアサッカー協会
インドネシアのサッカー統括団体
インドネシアサッカー協会(インドネシアサッカーきょうかい)は、インドネシアにおけるサッカー協会である。略称はPSSI。
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名称 | ||||
インドネシア語表記 | Persatuan Sepak Bola Seluruh Indonesia | |||
略称 | PSSI | |||
FIFAコード | IDN | |||
歴史 | ||||
設立 | 1930年 | |||
FIFA加盟 | 1952年 | |||
AFC加盟 | 1954年 | |||
組織 | ||||
国または地域 | インドネシア | |||
本部 | インドネシア | |||
会長 | エリック・トヒル | |||
公式サイト |
概要
編集1952年、国際サッカー連盟(FIFA)に加盟。1954年のアジアサッカー連盟(AFC)創設メンバーであり、創設と同時にAFCに加盟[1]。
2015年5月30日、国内リーグの運営に対して政府が介入し対立が解消されていないためFIFAはインドネシアサッカー協会に対して資格停止処分を課すことを決定したが[2]、資格停止処分は2016年5月13日に解除された[3]。
国内リーグは暴行や差別主義が当たり前であり、世界で最も凶悪で愚かなリーグとしても知られる[4]。ベトナムなど他の東南アジアの国と同様に近年、サッカー人気が高まっている。一方で、サポーターの暴力性や差別主義といった異常な実態についても知られており、試合に勝てばサポーターが対戦相手を侮辱し、負ければ暴徒化することが珍しくない。国内リーグでは1994年以降、2019年までに74人が試合中に暴動で死亡。2018年には対戦チームのサポーターを殴り殺す殺人事件が発生、2022年は試合に負けたチームのサポーターが暴徒化し、機動隊が出動、観客が会場の出口付近に殺到、群衆雪崩が発生し、呼吸障害で150人以上が死亡した[5][6][7][8][9]。
運営・組織
編集歴代会長
編集- Soeratin Sosrosoegondo (1930–1940)
- Artono Martosoewignyo (1941–1949)
- Maladi (1950–1959)
- Abdul Wahab Djojohadikusumo (1960–1964)
- Maulwi Saelan (1964–1967)
- Kosasih Poerwanegara (1967–1974)
- Bardosono (1975–1977)
- Moehono (1977)
- Ali Sadikin (1978–1981)
- Syarnoebi Said (1982–1983)
- Kardono (1983–1991)
- Azwar Anas (1991–1999)
- アグム・グメラール (1999–2003)
- ヌルディン・ハリド (2003–2011)
- アグム・グメラール (2011)
- ジョハル・アリフィン・フセイン (2011-2015)
- ラ・ニャラ・マッタリッティ (2015-2016)
- ヒンカ・パンジャイタン (2016)
- エディ・ラフマヤディ (2016-2019)
- ジョコ・ドリヨノ (2019)
- イワン・ブディアント (2019)
- モカマド・イリアワン (2019-2023)
- エリック・トヒル (2023-)
脚注
編集- ^ About AFC(AFCについて 歴史など説明)-AFC公式HP英語版2007年9月6日
- ^ “FIFAがインドネシアに資格停止処分。政府の国内リーグ介入を問題視”. フットボールチャンネル (2015年5月31日). 2015年9月9日閲覧。
- ^ Selamat! インドネシアサッカー協会、国際舞台へ復帰サッカーキング 2016年5月17日
- ^ “狂気と暴走 インドネシアサッカーの苦悩”. 2024年7月16日閲覧。
- ^ “「地獄と化したサッカー場」 インドネシアリーグ大暴動の衝撃拡大…死者150人、警察がファン鎮圧「恐怖と完全な混乱」”. 2024年7月15日閲覧。
- ^ “サッカーファンが相手サポーターの集団暴行で死亡、インドネシア”. 2024年7月15日閲覧。
- ^ “「奮闘ぶりは尋常じゃない」イラクに敗れPOに回るも...インドネシアのファンは健闘に喝采!「落胆する必要はない」【U-23アジア杯】”. 2024年7月15日閲覧。
- ^ “ギニア選手にファンが差別投稿 五輪逃したインドネシアが謝罪”. 2024年7月15日閲覧。
- ^ “答え求めるサッカーファン、試合後の暴動への取り締まり巡り インドネシア”. 2024年7月15日閲覧。