インターグシケンとは日本競走馬である。第39回菊花賞の優勝馬。主戦騎手は「ターフの魔術師」武邦彦。馬名の由来は、冠名「インター」に、当時のWBA世界ジュニアフライ級チャンピオン具志堅用高の名字「グシケン」より[2]

インターグシケン
品種 サラブレッド
性別
毛色 青鹿毛
生誕 1975年5月25日
死没 1988年8月24日(14歳没・旧表記)
テスコボーイ
キョウエイパンセ
母の父 ウイルデイール
生国 日本北海道様似町
生産者 高村秀司
馬主 松岡正雄
調教師 日迫清(栗東
→ 日迫良一(栗東)
福永甲(栗東)[1]
久保田金造美浦
競走成績
生涯成績 23戦9勝
獲得賞金 2億503万8700円
勝ち鞍
八大競走 菊花賞 1978年
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戦績

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1977年6月にデビューしたインターグシケンは、札幌で行われた2戦目の新馬戦福永洋一とのコンビで初勝利を挙げた。続くダートのオープン戦で3着となった後、北海道3歳ステークスで主戦となる武邦彦と初コンビを組んだが、4着に終わった。

秋になるとインターグシケンは京都1600メートル戦の紅葉杯でレコード勝ちを収めるなど、徐々に頭角を表し始めたが、重賞ではバンブトンコート相手に歯が立たず、デイリー杯3歳ステークス阪神3歳ステークスとも2着に終わった。

1978年、インターグシケンはシンザン記念3着、中京で行われたオープン1着と2戦した後、きさらぎ賞で念願の初重賞制覇を飾った。しかし、その後スプリングステークスでは1番人気に推されながら3着、クラシック1冠目の皐月賞でも追い込み届かずファンタストにクビ差の2着と惜敗した。

それでもNHK杯を制したインターグシケンは、稀に見る混戦となり「戦国ダービー」と呼ばれたクラシック2冠目の日本ダービーに挑んだ。単勝3番人気に推され、ダービー制覇の有力馬の一角と目されていたが、レースでは直線で伸びを欠きサクラショウリの6着に敗れ、初めて掲示板を外した。

インターグシケンは、ダービー後に休養し秋を迎えたが、京都で行われたオープン戦は2着、京都新聞杯は4着と2戦続けてメジロイーグルの後塵を拝し、勝ちきれないレースが続いた。その結果、クラシック最終戦の菊花賞では単枠指定されたダービー馬・サクラショウリが抜けた人気となり、インターグシケンは単勝3番人気に留まった。しかし、レースではチェリーリュウが玉砕覚悟の大逃げを打ったことでハイペースで推移。中団で折り合いをつけて脚を溜めていたインターグシケンは、直線で早めに先頭に立ったサクラショウリ以下を一気に交わし、後方から追い込んできたキャプテンナムラを半馬身抑え、3分6秒2のレコードタイム(当時)で優勝した[3]

1979年、古馬になったインターグシケンは、初戦のスポーツニッポン賞金杯で、61キロの負担重量を背負いながら、鋭い末脚でアイノクレスピンを差し切って優勝。かつての勝負弱さを克服し、本格化を遂げたと周囲に印象付けた。しかし、この後、脚部不安を発症して長期休養を余儀なくされる。

8月に関東に転厩[1]後、復帰はしたものの、その後は2戦したのみで、この年の有馬記念グリーングラスの13着に敗れたのを最後に引退、種牡馬入りした。なお、最後の2戦は柴田政人が騎乗している。

引退後

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引退後、インターナショナル牧場で種牡馬となったインターグシケンは、オープンで活躍した馬を複数出すなど、悪くない種牡馬成績をあげた。しかし、馬産地では非常に気性の悪い馬で知られていた。1988年8月24日の早朝、馬房で倒れているのを発見されたが、すでに息絶えていた。心臓疾患による急死であった。

代表産駒

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競走成績

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  • 1977年(9戦4勝)
    • 2着 - 阪神3歳ステークス、デイリー杯3歳ステークス
  • 1978年(11戦4勝)
    • 1着 - 菊花賞、NHK杯、きさらぎ賞
    • 2着 - 皐月賞
  • 1979年(3戦1勝)
    • 1着 - 金杯(西)

血統表

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インターグシケン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 テスコボーイ系
[§ 2]

*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
父の父
Princely Gift
1951 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Blue Gem Blue Peter
Sparkle
父の母
Suncourt
1952 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Inquisition Dastur
Jury

キョウエイパンセ
1965 鹿毛
ウイルデイール
1956 黒鹿毛
Wilwyn Pink Flower
Saracen
*メードンスグリーン Straight Deal
WindsorLady
母の母
アサライト
1953 鹿毛
トシシロ *ダイオライト
月城
ブライトン *シアンモア
第三ビユーチフルドリーマー F-No.12
母系(F-No.) 12号族(FN:12) [§ 3]
5代内の近親交配 Solario 5×5=6.25%、Pharos-Fiarway 5×5=6.25%(父内) [§ 4]
出典
  1. ^ [4]
  2. ^ [5]
  3. ^ [4]
  4. ^ [4][5]


脚注

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  1. ^ a b 優駿』1979年10月号、p.86
  2. ^ キョウエイヨーコーと名付けられた同馬主で同期の馬もいたが、こちらは全く鳴かず飛ばずであった。
  3. ^ この日は、馬名の由来となった具志堅用高のタイトルマッチの日でもあり、具志堅もKO勝利を飾っている。
  4. ^ a b c インターグシケン 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月9日閲覧。
  5. ^ a b インターグシケンの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月9日閲覧。

外部リンク

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