インカ・ショニバレ
インカ・ショニバレ CBE(Yinka Shonibare CBE, 1962年 - )は、ナイジェリア系イギリス人の芸術家。絵画、彫刻、写真、映像などのさまざまな手法で制作し、人種、性別、階級、文化、国境などの問題を問いかける。アーティスト名に、大英帝国勲章の三等勲位を示す「CBE」を付けている(理由は後述)[1]。
インカ・ショニバレ CBE | |
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生誕 |
1962年 イギリス、ロンドン |
運動・動向 | ヤング・ブリティッシュ・アーティスト |
略歴
編集1962年にイギリスのロンドンに生まれ、3歳から17歳までナイジェリアのラゴスで生活する[注釈 1]。ロンドンに再び移住したのちにバイアン・ショー・スクール・オブ・アート(のちのセントラル・セント・マーチンズ)で学び、ゴールドスミス・カレッジで修士号を取得した[1][3]。イギリスで美術を学んだ時に、ショニバレは指導教員からアフリカらしい作品を求められた。ショニバレにはその要望を受け入れる気はなく、アフリカもまた近代化し、他国の文化に影響を受けてきたことを伝えようと考えた[4]。こうしてショニバレは、アフリカに対するステレオタイプなイメージや、アフリカの植民地化の歴史、美術界におけるヒエラルキーなどに対抗する作品を制作することになった[1][5][6][7]。
1997年に若手芸術家を集めたヤング・ブリティッシュ・アーティストの「センセーション」展でデビューし、2002年にドクメンタ11でキュレイターのオクウィ・エンヴェゾーに依頼されて『Gallantry and Criminal Conversation』を制作して反響を呼んだ[注釈 2][1][5][6][7]。2004年にターナー賞にノミネートされ、2005年には大英帝国勲章五等勲位(MBE)の勲章を授与された[注釈 3]。ヴェネチア・ビエンナーレをはじめとして各地の美術館の展覧会に出品し、2008年にシドニー現代美術館で始まった個展は、ブルックリン美術館やスミソニアン博物館のアフリカ美術館を巡回した。2013年にはロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(RA)の会員に選出され、2019年に大英帝国勲章三等勲位(CBE)を授与された[1]。
アーティストネームに称号をつけている理由として、ショニバレは名前によって矛盾を表現すると語っている。英国人らしくない自分に英国の称号がついているのが面白いとしている[4]。
近年では、世界の芸術家と交流できる施設をナイジェリアに建設する計画を進めている[注釈 4]。ショニバレは2008年からイースト・ロンドンで芸術家のためのスペースを運営しており、それをラゴスでも始めようと考えた。このプロジェクトはゲスト・アーティスト・スペース(G.A.S.)と呼ばれ、地元の芸術家と世界から訪問する芸術家の交流を支援し、地域経済への貢献も目的として進められている[4][12]。
作品
編集ショニバレは、作品においてポストコロニアル理論やフェミニズムを取り入れている[13][14]。固有と思われる文化も互いに混ぜ合わさって成立するものであり、互いの文化を歴史的にどのように取り入れてきたかを知ることが重要とする[4]。シリアスな主題を扱うと同時に、それを楽しみながら見てもらえるようにしているという[4]。
ショニバレの作品には、鮮やかな色彩のアフリカン・プリントと呼ばれる布がしばしば使われる。この布は、もとはインドネシアの伝統的なバティックを機械で再現したヨーロッパ製品であり、名前もヨーロッパで付けられたものだった。しかし、1960年代にアフリカ独立の象徴となり、アフリカやアジアでも生産された経緯がある。ショニバレは、ステレオタイプのアフリカ美術を求められた学生時代にアフリカン・プリントの歴史を学び、この布を素材に選ぶようになった[注釈 5][16][17][18][1]。
ショニバレが国際的に知られるきっかけとなったドクメンタの出品作『Gallantry and Criminal Conversation』(2002年)は、17世紀から18世紀のイギリスで行われていたグランドツアーと呼ばれる旅行を題材とした。裕福な貴族の子弟を模した人形たちによって性的で退廃的な観光旅行が表現されており、服装のデザインは当時のものだが生地はアフリカン・プリントになっている[19]。
『瓶の中のネルソンの船』(2007年)では、イギリスの植民地帝国のきっかけとしてトラファルガー海戦を象徴とした。ネルソンの船とは、トラファルガー海戦でホレーショ・ネルソンが乗ったヴィクトリーを指す。ショニバレは船の帆にアフリカン・プリントを張り、瓶の中に閉じ込めて皮肉を表現している。本作品はトラファルガー広場でも屋外展示された[20][21][22]。
『ハイビスカスの下に座る少年』(2015年)では、ナイジェリアのポピュラーな花であるハイビスカスの下に少年像が座っている。少年の服はアフリカン・プリントで作られており、少年の頭部は、イギリス植民地が赤く塗られた地球儀になっている[23][7]。
映像作品『オディールとオデット』(2005年)では、色についての問題提起をした。黒人と白人のバレリーナが踊り、鏡合わせのように動くさまが映される。ショニバレは、『白鳥の湖』で白鳥が主役、黒鳥が悪役として表現されてきたことに注目している[24][25]。
国際的に評価される中で、日本においてもショニバレが紹介されるようになり、2006年に「アフリカ・リミックス 多様化するアフリカの現代美術」が森美術館で開催された時に、ショニバレの作品も展示された。これは25カ国の芸術家を集めた国際巡回展だった。2016年には横浜美術館の「BODY / PLAY / POLITICS」で立体作品とともに映像作品『さようなら、過ぎ去った日々よ』(2011年)が展示された。この作品ではアフリカン・プリントの生地で19世紀フランス風のドレスを着た黒人歌手が、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『椿姫』のアリアを唄っている[26][27][注釈 6]。
2019年には福岡市美術館で日本初個展として「インカ・ショニバレCBE: Flower Power」が開催され、個展のために日本を題材とした新作『桜を放つ女性』(2019)も発表された[注釈 7][30][31]。女性へのエールを込めたこの作品では、アフリカン・プリントで鹿鳴館様式のドレスを作り、ドレスを着た女性像がライフルを撃っている。銃口からは桜が飛び出し、桜の花びらにはさまざまな色が含まれて多様性を表している。女性像の頭部として付けられた地球儀には、19世紀から21世紀にかけて女性の権利の獲得に貢献した著名な人物の名前が書かれている[4][32] [33][34]。
出典・脚注
編集注釈
編集- ^ イギリスは16世紀から西アフリカで奴隷貿易を行ない、1807年に奴隷貿易を禁止したが、ベルリン会議をへて1900年から保護領化を進めてイギリス領ナイジェリアとした。第二次世界大戦後に反植民地運動が広がり、1960年にナイジェリアは独立を果たした[2]。
- ^ エンヴェゾーは、アフリカ人として初のドクメンタキュレイターだった。エンヴェゾーやシモン・ンジャミ、アンドレ・マニャンらは、キュレイターとしてアフリカの芸術家の作品を送り出す役割を果たした[8]。
- ^ なお、黒人男性初のターナー賞受賞者は1998年のクリス・オフィリ、黒人女性初の受賞者は2017年のルバイナ・ヒミッドだった[9][10]。
- ^ アフリカ美術界では、世界的に成功した芸術家が地元の美術を盛り上げるためのインフラ構築に携わることが増えている[11]。
- ^ アフリカン・プリントやパーニュと呼ばれる布は、ショニバレや彫刻家のエル・アナツイが制作に使ったことで美術にも広く知られるようになった。次の世代に属する画家のエディー・カマンガ・イルンガ(Eddy Kamuanga Ilunga)は、それを踏まえて鮮やかな色彩のパーニュを表現している[15]。
- ^ 日本におけるアフリカ美術紹介は、1995年の世田谷美術館「インサイド・ストーリー:同時代のアフリカ美術」が初の大規模な展覧会で、全国を巡回した。この時には20世紀初頭から1990年代の作品が紹介された。21世紀の作品が大規模に紹介されたのは、2018年から2019年に世田谷美術館で開催された「アフリカ現代美術コレクションのすべて」だった[28]。
- ^ 福岡市美術館では「更紗の時代」(2014年)という企画展でインド更紗やバティックを取り上げており、のちのショニバレの個展へとつながった[29]。
出典
編集- ^ a b c d e f “Yinka Shonibare, CBE (RA) | Biography”. yinkashonibare.com. 2020年2月20日閲覧。
- ^ 島田 2019, pp. 32, 45, 107, 168.
- ^ “インカ・ショニバレ CBE”. 美術手帖. 2020年8月8日閲覧。
- ^ a b c d e f 佐々木, 直樹 (2019年4月25日). “華やかさと裏腹の影 先入観揺さぶる 英国代表するナイジェリア系美術家 インカ・ショニバレさん国内初個展 福岡市美術館【コラム】”. アルトネ 2020年8月8日閲覧。
- ^ a b 正路 2019, p. 97.
- ^ a b 福岡市美術館 2019, p. 118.
- ^ a b c 正路 2020, p. 108.
- ^ 中村 2020, pp. 98–99.
- ^ 山本 2019, p. 242.
- ^ “ターナー賞2017”. ART iT. (2017年12月6日) 2020年8月8日閲覧。
- ^ 中村 2020, pp. 102–103.
- ^ “Yinka Shonibare: ‘I see what’s happening as an African renaissance’”. The Guardian. (2020年1月13日) 2020年8月8日閲覧。
- ^ 正路 2019, pp. 97–98.
- ^ 正路 2020, pp. 107–108.
- ^ 中村 2020, p. 95.
- ^ ショニバレ 2019, p. 11.
- ^ 正路 2019, p. 98.
- ^ 正路 2020, pp. 106–107.
- ^ “Yinka Shonibare MBE, Gallantry and Criminal Conversation”. National Museum of African Art. 2020年2月20日閲覧。
- ^ 福岡市美術館 2019, p. 52.
- ^ 正路 2020, p. 107.
- ^ “Nelson's Ship in a Bottle”. Royal Museums Greenwich. 2020年8月8日閲覧。
- ^ 福岡市美術館 2019, p. 81.
- ^ 福岡市美術館 2019, p. 45.
- ^ 正路 2020, pp. 109.
- ^ “『横浜ダンスコレクション2017 BODY / PLAY / POLITICS』インカ・ショニバレ MBE”. 横浜美術館. 2020年8月8日閲覧。
- ^ 福岡市美術館 2019, pp. 68–69.
- ^ 塚田 2020, pp. 82–85.
- ^ “キュレーターズノート 収集活動と展覧会活動が次なる展覧会を生む── 「インカ・ショニバレCBE:Flower Power」”. アートスケープ. 2020年8月8日閲覧。
- ^ ショニバレ 2019, p. 12.
- ^ “福岡市美術館リニューアルオープン記念展 「これがわたしたちのコレクション+インカ・ショニバレCBE: Flower Power」”. 福岡市美術館. 2020年8月8日閲覧。
- ^ 福岡市美術館 2019, pp. 91–92.
- ^ 正路 2019, pp. 100–102.
- ^ 正路 2020, pp. 108–110.
参考文献
編集- インカ・ショニバレCBE「アーティスト・ステートメント 桜を放つ女性」『インカ・ショニバレCBE Flower Power 展覧会図録』福岡市美術館、2019年。
- 島田周平『物語 ナイジェリアの歴史 - 「アフリカの巨人」の実像』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。
- 正路佐知子「歴史を現在進行形としてとらえる―インカ・ショニバレCBEの作品と『わたし』を接続するために」『インカ・ショニバレCBE Flower Power 展覧会図録』福岡市美術館、2019年。
- 正路佐知子 著「初の日本個展 インカ・ショニバレの姿」、ウスビ・サコ, 清水貴夫 編『現代アフリカ文化の今 15の視点から、その現在地を探る』青幻舎、2020年。
- 塚田美紀 著「国際的に活躍する「アフリカ系」アーティストたち」、ウスビ・サコ, 清水貴夫 編『現代アフリカ文化の今 15の視点から、その現在地を探る』青幻舎、2020年。
- 中村融子 著「アートシーンのフィールドワーク 現代アフリカ美術を取り巻く場と人々」、ウスビ・サコ, 清水貴夫 編『現代アフリカ文化の今 15の視点から、その現在地を探る』青幻舎、2020年。
- 『インカ・ショニバレCBE Flower Power 展覧会図録』福岡市美術館、2019年。
- 山本浩貴『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』中央公論新社〈中公新書〉、2019年。
関連文献
編集- 緒方しらべ『アフリカ美術の人類学―ナイジェリアで生きるアーティストとアートのありかた』清水弘文堂書房、2017年。
- “元豪邸の美術館。「ドライハウス・ミュージアム」がインカ・ショニバレ展で見せるミュージアムと社会の接続”. アートスケープ. 2020年8月8日閲覧。。