イリニ (ギリシャ王女)
イリニ・ティス・エラザス・ケ・ザニアス(ギリシャ語:Ειρήνη της Ελλάδας και Δανίας, 1942年5月11日 - )は、ギリシャ王パウロス1世とその妃フリデリキ(フリーデリケ・フォン・ハノーファー)の末娘。スペイン王フアン・カルロス1世の妃ソフィア、最後のギリシャ王コンスタンティノス2世の妹。「ギリシャ王女およびデンマーク王女」の称号を有する。
イリニ・ティス・エラザス Ειρήνη της Ελλάδας | |
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グリクシンブルグ家 | |
1966年 | |
続柄 | パウロス1世王女 |
全名 |
Ειρήνη της Ελλάδας και Δανίας イリニ・ティス・エラザス・ケ・ザニアス |
称号 | ギリシャ及びデンマーク王女 |
身位 | Πριγκίπισσα(王女) |
出生 |
1942年5月11日(82歳) 南アフリカ連邦、ケープタウン |
父親 | パウロス1世 |
母親 | フリデリキ・トゥ・アノヴェル |
ギリシャ王室 |
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略歴
編集イリニは1942年5月11日に南アフリカのケープタウンで生まれた。ピアニストのジーナ・バッカウアーの弟子であり、一時期はプロのコンサート・ピアニストだったこともある。また1965年に兄コンスタンティノス2世の長女アレクシアが生まれるまで、ギリシャ王位の推定相続人であった。
イリニはオルレアニストのフランス王位請求者パリ伯アンリの三男エヴルー伯ミシェルと交際していたが、ミシェルは1967年11月17日に彼の父の承認を得ずにモロッコのカサブランカでフランス貴族のベアトリス・パスキエ・ド・フランリューと結婚した[1]。イリニはその後も結婚することはなかった。
1967年末にクーデターによって兄コンスタンティノス2世達の王室が亡命を余儀なくされると、イリニは母フリデリキ王太后とともにインドに亡命した。1981年に母が死んだ後は、姉ソフィアが王妃となっていたスペインに移住し、フアン・カルロス1世とソフィア夫妻が住むマドリードのサルスエラ宮殿の一角を住居として与えられている。
イリニは「world in harmony」という組織の設立者兼代表である[2]。
系譜
編集イリニ | 父: パウロス1世 (ギリシャ王) |
祖父: コンスタンティノス1世 (ギリシャ王) |
曾祖父: ゲオルギオス1世 (ギリシャ王) [1] |
曾祖母: オルガ (ギリシャ王妃) [2] | |||
祖母: ソフィア (ギリシャ王妃) |
曾祖父: フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝) [3] | ||
曽祖母: ヴィクトリア (ドイツ皇后) [4] | |||
母: フリデリキ (ギリシャ王妃) |
祖父: エルンスト・アウグスト (ブラウンシュヴァイク公) |
曾祖父: エルンスト・アウグスト (ハノーファー王太子) | |
曾祖母: テューラ・ア・ダンマーク [5] | |||
祖母: ヴィクトリア・ルイーゼ |
曾祖父: ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝) [6] | ||
曾祖母: アウグステ・ヴィクトリア |
脚注
編集- ^ Philippe de Montjouvent. Le Comte de Paris et sa Descendance. Editions du Chaney, 1998, Charenton, France. pp. 21, 23-26, 34-36, 40-41, 187, 197, 310, 313, 467-468. (French) ISBN 2-913211-00-3.
- ^ “Who We Are”. World In Harmony. 4 March 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月10日閲覧。
- ^ El Mundo
- ^ «Real Decreto 164/2018, de 16 de marzo, por el que se concede la nacionalidad española por carta de naturaleza a Su Alteza Real doña Irene de Grecia de Hannover.»
関連項目
編集上位 ギリシャ王女セオドラ |
〈名目上〉ギリシャ王位継承権者 継承順位第9位 |
下位 − |
上位 Mireille Prinzessin von Hanover |
イギリス王位継承順位 (ヴィクトリア女王の娘ヴィッキーの子孫) 他の英連邦王国の王位継承権も同様 |
下位 ドナータ・ツー・メクレンブルク プロイセン王子ハインリヒの曾孫 |