イサイ・シューア
イサイ・シューア[1](英語: Issaj Schur, Issai Schur, ヘブライ語: יִשַׁי שׁוּר Yiššáy Šūr, ロシア語: Иса́й "Шая" Мо́вшевич Шур, 1875年1月10日 – 1941年1月10日)は、ドイツとイスラエルの地で活動したユダヤ系の数学者。
人物情報 | |
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生誕 |
1875年1月10日 ロシア帝国 モギリョフ県モギリョフ (現: ベラルーシ マヒリョウ) |
死没 |
1941年1月10日 (66歳没) イスラエル・テルアヴィヴ |
学問 | |
研究分野 | 数学 |
学位 | 博士 |
経歴
編集ロシア帝国領ポーランドモギリョフ県モギリョフ(同地は現ベラルーシ・マヒリョウ)でユダヤ系ドイツ人の子として生まれた[2]。父・モーセ・シューア(Moses Schur)はビジネスマンであった。1888年、13歳の時から結婚した姉の住むラトビアに兄弟と共に移った。1894年、フンボルト大学ベルリンに入学し、数学と物理を学んだ。1901年、行列群に関する学位論文を提出して博士号を取得。1903年に講師となり、ボン滞在を経て、1919年に教授に昇進した。
1935年、彼はユダヤ人として教職を追われ、1938年には親ナチの数学者ビーベルバッハの煽動によってプロイセン学士院から追放された。このため1939年にパレスチナへ移住し、貧困と屈辱を忍びつつ晩年を送った。彼は66歳の誕生日にテルアヴィヴで死去した。
研究内容・業績
編集フロベニウスに師事し、(最も関係深い対象として)群の表現について取り組んだが組合せ論や数論も、あるいは理論物理学までも手掛けた。今日おそらくシューアの業績として最もよく知られたものは、シューア分解の存在に関することと、群表現論に関するシューアの補題であろう。
リヒャルト・バウアー、ベルンハルト・ノイマン、ハインツ・プリューファー、リヒャルト・ラードなどの弟子がいる。シューアの講義は学生たちに非常に人気であった[3]。1929年、ソヴィエト連邦科学アカデミーの外国人客員として選出された[4]。
出版に際してシューアは、"I. Schur" と "J. Schur" の両方を著者名に用いており(後者は特に Journal für die reine und angewandte Mathematik で用いている)、これはしばしば混乱を招く[5]。
関連項目
編集著作
編集- Schur, Issai (1968), Grunsky, Helmut, ed., Vorlesungen über Invariantentheorie, Die Grundlehren der mathematischen Wissenschaften, 143, Berlin, New York: Springer-Verlag, MR0229674
- Schur, Issai (1973), Brauer, Alfred; Rohrbach, Hans, eds., Gesammelte Abhandlungen, Berlin, New York: Springer-Verlag, ISBN 978-3-540-05630-0, MR0462891
参考文献
編集- Curtis, Charles W. (2003), Pioneers of Representation Theory: Frobenius, Burnside, Schur, and Brauer, History of Mathematics, Providence, R.I.: American Mathematical Society, ISBN 978-0-8218-2677-5, MR1715145 Review
- Joseph, Anthony; Melnikov, Anna; Rentschler, Rudolf, eds. (2003), Studies in memory of Issai Schur, Progress in Mathematics, 210, Boston, MA: Birkhäuser Boston, ISBN 978-0-8176-4208-2, MR1985184
外部リンク
編集注釈
編集- ^ ヘブライ語での発音は「イッシャイ・シュール」。
- ^ ラトビア育ったが、自分自身をユダヤ人というよりはむしろドイツ人と考えていた。このため、1934年に英米の大学に招かれた時もドイツからの出国を拒んだ。
- ^ Biography of Walter Ledermann
- ^ Schur I. - General info at www.ras.ru
- ^ Ledermann, W. (1983). “Issai Schur and his school in Berlin”. Bull. London Math. Soc. 15 (2): 97–106. doi:10.1112/blms/15.2.97.