イギリス領リーワード諸島
- リーワード諸島連邦植民地
- Federal Colony of the Leeward Islands
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↓ 1671年 - 1816年
1833年 - 1958年→
→(旗) (国章) - 国歌: God Save the Queen/King
神よ女王/国王を守り給え
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公用語 英語 言語 リーワード・カリブ・クレオール語
ドミニカ・クレオール語宗教 キリスト教(聖公会、カトリック教会、メソジスト) 首都 セントジョンズ - 国王
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1671年 - 1685年 チャールズ2世(初代) 1952年 - 1958年 エリザベス2世(最後) - 総督
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1671年 - 1683年 ウィリアム・ステイプルトン(初代) 1956年 - 1958年 アレクサンダー・ウィリアムズ(最後) - 変遷
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設置 1671年 分割 1816年 再統合 1833年 連邦制施行 1871年 ドミニカ加盟 1871年 ドミニカ離脱 1940年 西インド連邦結成 1958年 連邦解体 1962年5月31日
通貨 スターリングポンド(公式)
スペイン・ドル
メキシコ・ペソ -
先代 次代 アンギラ
アンティグア島
バーブーダ島
ドミニカ
モントセラト
ネイビス島
セントクリストファー島
イギリス領ヴァージン諸島西インド連邦
イギリス領ヴァージン諸島
イギリス領リーワード諸島(イギリスりょうリーワードしょとう、英語: British Leeward Islands)とは1671年から1958年まで存在したイギリスの植民地で、リーワード諸島に存在するイングランド(後にイギリス)の海外領土を含んでいた。植民地は1816年から1833年にかけて2つの植民地(アンティグア・バーブーダ・モントセラトおよびセントクリストファー・ネイビス・アンギラ・ヴァージン諸島)に分裂していた。1958年にヴァージン諸島が分離し、残った島々が西インド連邦を形成することで解体された。
歴史
編集リーワード諸島は1671年にイングランドの植民地となった。1816年、諸島はアンティグア・バーブーダ・モントセラトおよびセントクリストファー・ネイビス・アンギラ・ヴァージン諸島という2つの植民地に分割された。
リーワード諸島は1833年に半連邦制として再統合され、1872年までアンティグア総督の行政下に置かれた。1872年から1956年まで諸島はリーワード諸島連邦植民地(英語: Federal Colony of the Leeward Islands)として知られた。1833年から1940年にイギリス領ウィンドワード諸島に移管されるまでドミニカは当植民地の一部だった[1] 。
1958年1月3日、ヴァージン諸島を除いた島々は西インド連邦に吸収された。イギリス領リーワード諸島は最終的に1960年の総督職廃止およびイギリス領ヴァージン諸島の直轄植民地昇格をもって廃止された[2][3]。
代表チームのクリケットリーワード諸島代表は西インド諸島で活動を続けている。
1939年の軍事
編集植民地の軍事はセントクリストファー・ネイビス、モントセラト、アンティグア、ドミニカおよびイギリス領ヴァージン諸島の組織を含んでいた[4]。
- セントクリストファー・ネイビス国防軍
- 王立モントセラト国防軍
- 王立アンティグア国防軍
- ドミニカ国防軍
郵便切手
編集リーワード諸島の島々は1890年から1956年7月1日まで「LEEWARD ISLANDS」と記された郵便切手を(しばしば植民地名の入った郵便切手と共に)用いていた。1882年から1930年代まで収入印紙も発行されていた。
関連項目
編集- リーワード諸島総督の一覧
- リーワード諸島の司法長官
- リーワード諸島の首席判事
- イギリス領ウィンドワード諸島
- イギリス領西インド諸島の歴史
- 風上と風下 - 英語で風上がウィンドワード、風下がリーワードである。
脚注
編集- ^ Honychurch, Lennox (1995). The Dominica Story: A History of the Island (3rd ed.). London: Macmillan Publishers. pp. 129, 132, 175. ISBN 0-333-62776-8
- ^ “Private Lands Conservation in the British Virgin Islands”. University of Colorado Boulder. Natural Resources Law Center (2004年). 1 October 2020閲覧。
- ^ “Encyclopedia Britannica - BVI”. 1 October 2020閲覧。
- ^ “Leeward Islands, 03.09.1939”. niehorster.org. 2019年1月19日閲覧。
参考文献と関連書籍
編集- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Leeward Islands". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 16 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 371.
- Dator, James. "Frank Travels: Space, Power and Slave Mobility in the British Leeward Islands, c. 1700–1730." Slavery & Abolition 36.2 (2015): 335-359. online
- Fergus, Howard A. A history of education in the British Leeward Islands, 1838-1945 (University of West Indies Press, 2003).
- Hicks, Dan. "Material improvements: The archaeology of estate landscapes in the British Leeward Islands, 1713–1838." in State Landscapes: Design, Improvement, and Power in the Post-Medieval Landscape (Boydell and Brewer, 2007) pp: 205-227. online
- Higman, Barry W. "Small Islands, Large Questions: Post-Emancipation Historiography of the Leeward Islands." in Small Islands, Large Questions (Routledge, 2014) pp. 8-28.