サー・イアン・ブラウンリー CBE QC英語版 FBA (Sir Ian Brownlie, 1932年9月19日、リヴァプール - 2010年1月3日、カイロ) [1]は、イギリスの法廷弁護士、国際法を専門とする学者。1980年から1999年まで国際公法のチチェリー・プロフェッサー英語版であった。

イアン・ブラウンリー
Sir Ian Brownlie
人物情報
生誕 (1932-09-19) 1932年9月19日
ブートル英語版リヴァプールイングランド
死没 (2010-01-03) 2010年1月3日(77歳没)
カイロエジプト
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身校 ハートフォード・カレッジ (オックスフォード大学)
学問
研究分野 国際法
研究機関 リーズ大学
ノッティンガム大学
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス
称号 CBE QC FBA
脚注
職業 法廷弁護士
テンプレートを表示

若年期と教育

編集

ブラウンリーはリヴァプールブートル英語版で生まれた。父親は保険会社で働いていた。第二次世界大戦の間、ウィラル英語版の近くヘスウォール英語版に避難し、地元の学校が爆撃された後、正式な教育を受けずに1年を過ごした[2]。彼はオルソップ高校(英語)に通った。その後、1952年にオックスフォード大学ハートフォード・カレッジにギブス・スカラーとして通い、1953年には法学のファーストクラス(英語)BAが授与された。このとき、C・H・S・フィフット(英語)はブラウンリーを「最も有能な学生」"ablest student"と表現した[3]BCL英語版で最高点を獲得したビネリアン・スカラー英語版だった[4]

経歴

編集

1957年から1963年まで、ノッティンガム大学で講師を務め、大学教員としてのキャリアをスタートさせた。1963年から1976年までオックスフォードワダム・カレッジ英語版で法学のフェロー兼指導教員を務め、1964年から1976年までオックスフォード大学の講師を務めた。1976年に勅選弁護士英語版となった。1976年から1980年にかけてロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの国際法教授に任命された。

彼は1979年のイランアメリカ大使館人質事件の間、米国大統領ジミー・カーターの顧問を務めた。彼が国際司法裁判所で弁論した事件にはニカラグア事件、ナウル v. オーストラリア(ナウルのリン鉱石関連)[5]、ボスニアのジェノサイド事件(英語)ペトラ・ブランカ事件英語版、リビア v. イギリス、リビア v. アメリカ(パンアメリカン航空103便爆破事件関連)[6][7]、コンゴ民主共和国 v. ウガンダ(第一次コンゴ戦争関連)[8]が含まれる。また、キプロス v. トルコ(英語)を含む、欧州人権裁判所でのいくつかの重要な事件について弁論した。国際司法裁判所では、合計40件以上の事件の弁論を担当した[3]。1999年には、イギリスの裁判所で行われたチリのクーデター主導者アウグスト・ピノチェト犯罪人引渡し裁判において、アムネスティ・インターナショナルの代表を務めた。1997年から2008年に辞任するまで、国連の国際法委員会の委員を務めた[9]。1974年から1999年まで「The British Yearbook of International Law」(イギリス国際法年鑑)の編集長を務めた[1]

私生活

編集

1957年にブラウンリーは息子1人と娘2人がいるジョスリン・ゲイル (Jocelyn Gale) と結婚したが、1975年に離婚した。その後、1978年にクリスティーン・アパーリー (Christine Apperley) と再婚した[1]。ブラウンリーは、2010年1月3日にカイロでの自動車事故で亡くなった。妻と娘も車に乗っていたが、妻は肋骨を折り、娘のレベッカ (Rebecca) も亡くなっている[4][10][11]。車を運転していた男性は、過失致死罪で有罪になった[12]。ブラウンリーの妻クリスティーン・ブラウンリーは、エジプトで事故が発生したにもかかわらず、イギリスで発生した損害を訴えるために訴訟を起こした。この訴訟は、FSカイロ v ブラウンリー (FS Cairo v Brownlie) [2021] UKSC 45 として連合王国最高裁判所で審理され、画期的な判決としてクリスティーン・ブラウンリーに有利な判決が下された[12]

出版物

編集

ブラウンリーの出版された作品のいくつかは、それらの分野で標準的なテキストと見なされている。

  • International Law and the Use of Force between States (Oxford doctoral thesis, 1963)
  • Principles of Public International Law (1966) (8th ed., 2012)
  • Basic Documents in International Law (1967) (6th ed., 2008)
  • Basic Documents on Human Rights (1971) (5th ed., 2006)
  • African Boundaries: A Legal and Diplomatic Encyclopedia (1979)
  • System of the Law of Nations: State Responsibility (1983)

脚注

編集
  1. ^ a b c Brownlie, Sir Ian, (19 Sept. 1932–3 Jan. 2010), International Law practitioner” (英語). WHO'S WHO & WHO WAS WHO. doi:10.1093/ww/9780199540884.013.u9150. 2022年3月12日閲覧。
  2. ^ Ian Brownlie”. The British Academy. 2022年3月12日閲覧。
  3. ^ a b Sands, Philippe (12 January 2010). “Sir Ian Brownlie obituary”. The Guardian (London): 35. https://www.theguardian.com/theguardian/2010/jan/11/sir-ian-brownlie-obituary?INTCMP=SRCH 29 October 2012閲覧。. 
  4. ^ a b Sir Ian Brownlie”. The Telegraph. 2022年3月12日閲覧。
  5. ^ Latest developments | Certain Phosphate Lands in Nauru (Nauru v. Australia) | International Court of Justice”. www.icj-cij.org. 2022年7月21日閲覧。
  6. ^ Judgments | Questions of Interpretation and Application of the 1971 Montreal Convention arising from the Aerial Incident at Lockerbie (Libyan Arab Jamahiriya v. United Kingdom) | International Court of Justice”. www.icj-cij.org. 2022年7月21日閲覧。
  7. ^ Latest developments | Questions of Interpretation and Application of the 1971 Montreal Convention arising from the Aerial Incident at Lockerbie (Libyan Arab Jamahiriya v. United States of America) | International Court of Justice”. www.icj-cij.org. 2022年7月21日閲覧。
  8. ^ Latest developments | Armed Activities on the Territory of the Congo (Democratic Republic of the Congo v. Uganda) | International Court of Justice”. www.icj-cij.org. 2022年7月21日閲覧。
  9. ^ United Nations International Law Commission. Report on Matters Related to the Work of the International Law Commission at its Sixtieth Session[リンク切れ]. Retrieved 29 April 2009.
  10. ^ Sir Ian Brownlie CBE QC – Blackstone Chambers”. blackstonechambers.com. 28 March 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。6 January 2010閲覧。
  11. ^ Blackstone Chambers mourns death of Sir Ian Brownlie QC”. The Lawyer. 6 January 2010閲覧。
  12. ^ a b Siddique, Haroon (2021年10月20日). “Woman wins right to sue Egyptian hotel in English courts over husband’s death” (英語). The Guardian. 2022年3月12日閲覧。

外部リンク

編集