アーサー・ブルース・ヘイマン (Arthur Bruce Heyman, 1941年6月24日 - 2012年8月27日) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長196cm、体重93kg。ポジションはシューティングガード及びスモールフォワードデューク大学史上初のNBAドラフト1位指名選手として知られる。

アート・ヘイマン
Art Heyman
故人
ポジション SG/SF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1941年6月24日
没年月日 (2012-08-27) 2012年8月27日(71歳没)
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク
身長(現役時) 196cm (6 ft 5 in)
体重(現役時) 93kg (205 lb)
キャリア情報
出身 デューク大学
ドラフト 1963年 1位
選手経歴
1963-1965
1965
1965-1966
1967
1967-1969
1969
ニューヨーク・ニックス
シンシナティ・ロイヤルズ
フィラデルフィア・76ers
ニュージャージー・アメリカンズ
ピッツバーグ/ミネソタ・パイパーズ
マイアミ・フロリディアンズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴

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ヘイマンはニューヨークで生れ、地元のオーシャンサイド高校でスター選手として活躍した。卒業後はノースカロライナ大学でプレーする予定だったが、最終的に翻意してデューク大学に進学した。

ヘイマンは大学で華々しい活躍を見せ、3年間で平均25.1得点10.9リバウンドを記録した。特に4年次の1963年にはチームを初のNCAAトーナメントベスト4に導いてトーナメントMVPに輝いた他、多数の個人タイトルを受賞した。ヘイマンの背番号『25』は大学の永久欠番に指定されている。

1963年、ヘイマンはデューク大学出身者として初となるNBAドラフト全体1位でニューヨーク・ニックスに入団した。1年目は平均15.4得点の成績でオールルーキー1stチームに選出された。しかし気性の激しさ故に数々のトラブルを引き起したことで、2年目は出場時間が激減して平均5.7得点に終った。翌シーズンはニックスを離れ、シンシナティ・ロイヤルズフィラデルフィア・76ersで計17試合に出場した後、EPBLに移籍してプレーを続けた。

1967年、ヘイマンは創設間もないABAニュージャージー・アメリカンズと契約し、シーズン途中でピッツバーグ・パイパーズに移籍した。パイパーズでは平均20得点超をあげ、同年のリーグ制覇に貢献した。その後マイアミ・フロリディアンズでプレーした1969年を最後に現役を引退した。

ABAとNBAを合算した成績は、310試合の出場で通算4,030得点1,461リバウンド(平均13.0得点4.7リバウンド)であった。

ヘイマンは2012年に71歳で死去した。

個人成績

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ABAチャンピオン
太字 キャリアハイ

レギュラーシーズン

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Season Team GP MPG FG% 3P% FT% RPG APG PPG
1963–64 NYK 75 29.8 .431 .685 4.0 3.4 15.4
1964–65 55 12.1 .427 .667 1.8 1.4 5.7
1965–66 CIN 11 9.1 .349 .588 1.2 .6 3.6
PHI 6 3.3 .333 .800 .7 .7 1.7
1967-68 NJA 19 23.1 .385 .176 .644 3.7 1.9 13.8
1967-68† PTP
MNP
54 39.2 .447 .274 .751 7.9 4.4 20.1
1968-69 71 33.3 .421 .314 .697 7.0 3.1 14.4
1969-70 1 4.0 .000 .0 .0 .0
MMF 18 17.0 .448 .000 .708 3.2 1.4 7.8
Career 310 26.6 .427 .281 .703 4.7 2.8 13.0

プレーオフ

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Year Team GP MPG FG% 3P% FT% RPG APG PPG
1968† PTP
MNP
15 37.6 .485 .378 .676 7.1 3.9 19.7
1969 7 37.7 .446 .389 .780 7.3 2.9 17.3
Career 22 37.6 .472 .382 .700 7.2 3.5 19.0

外部リンク

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