アーサー・プライヤー

アメリカ合衆国の音楽家

アーサー・ウィラード・プライヤー英語: Arthur Willard Pryor1869年9月22日1942年6月18日)は、アメリカ合衆国トロンボーン奏者、作曲家指揮者バンドマスター。プライーとも表記される。

アーサー・プライヤー
生誕 1870年9月22日 ウィキデータを編集
セントジョセフ ウィキデータを編集
死没 1942年6月18日 ウィキデータを編集 (71歳)
West Long Branch ウィキデータを編集
職業 指揮者, バンドマスター, 作曲家 ウィキデータを編集

生涯

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ミズーリ州セント・ジョセフの劇場の2階で生まれた。音楽に興味を持ち、父の指導のもとで練習するようになる。練習中に、少しでも不快な音を出すと、父が怒鳴りつけたという。

1893年のシカゴ万国博覧会にて、初めてソロで演奏した。

ヨーロッパ滞在中に、イギリス国王エドワード7世ロシア皇帝ニコライ2世の王室でトロンボーン奏者として活躍。

スーザ吹奏楽団の1人となり、「ザット・フライング・ラグ」などを作曲したが、日本では、プライヤーの少ない作品の中で、「口笛吹きと犬」だけがずば抜けて知られ、演奏されることが多い。

ザット・フライング・ラグ1911年録音

晩年は政治家としても活動し、ニュージャージー州代表の民主党の政治家となった。

スコットランドのブルー・ベルズ、トロンボーンとバンドのための曲
(Dennis Smith演奏)

ニュージャージー州ウエスト・ロング・ブランチ英語版で死去。

息子のロジャー・プライア英語版はバンドマスターで映画俳優。

1985年には指揮者リック・ベンジャミンの研究対象になった。

脚注

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外部リンク

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