アンベール (フランス)
アンベール (フランス語:Ambert、オック語:Embèrt)は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、ピュイ=ド=ドーム県のコミューン。
Ambert | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | ピュイ=ド=ドーム県 |
郡 (arrondissement) | アンベール郡 |
小郡 (canton) | アンベール小郡 |
INSEEコード | 63003 |
郵便番号 | 63600 |
市長(任期) |
ミリアム・フジェール[1] (2014年-) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays d'Ambert |
人口動態 | |
人口 |
7 016人 (2007年) |
人口密度 | 116人/km2 |
住民の呼称 | Ambertois |
地理 | |
座標 | 北緯45度33分01秒 東経3度44分33秒 / 北緯45.5503度 東経3.7425度座標: 北緯45度33分01秒 東経3度44分33秒 / 北緯45.5503度 東経3.7425度 |
標高 |
平均:m 最低:514m 最高:1365 m |
面積 | 60.48km2 (6 048ha) |
地理
編集市街地とその外側はアリエ川の支流ドル川の流域となっている。アンベールは、フォルズ山地と西のリヴラドワ山地とに囲まれたアンベール高原にある。
歴史
編集15世紀までのアンベールの町は、3つの社会階層に対応して分断されていた。商業地区、修道院と教会の地区、19の塔を持つ防衛施設(19世紀に廃止された)からなる領主の地区である。
聖バルテルミーの大虐殺後、アンベールは荒廃した。1574年には、マチュー・メルル率いるユグノーの郎党が町を占拠し略奪を行い、カトリック教徒が多数を占めていたアンベール住民が殺害された。都市はカトリック教徒から取り上げられたのである。
平和な時代が訪れると、アンベールや周辺のコミューンでは、ヘンプやフラックス(どちらもアサの一種)から作るパルプと密接な関係を持つようになり、15世紀には300以上の工場があった。紙職人の親方たちはイタリア人職人の知識を吸収していた。ディドロとダランベールによる『百科全書』の初版本は、アンベールでできた紙で刷られていた。
製紙産業は18世紀後半から徐々に衰退し始め、替わって織物、飾り紐製造、レース、刺繍の取引やロザリオ製造が盛んになった。
経済
編集製材業、チーズ製造、飾り紐製造など。アンベール周辺で作られるチーズ、フルム・ダンベールは1972年からAOC指定されている。
出身者
編集- アニェル・ブンダヴォエ
- エマニュエル・シャブリエ
- ミシェル・ロル(1652-1719) - 数学者
- ピエール・ド・ノラック(1859-1936) - 作家
姉妹都市
編集脚注
編集- ^ “リヨン領事事務所活動報告”. 在リヨン領事事務所 (Bureau Consulaire du Japon à Lyon) (2015年1月15日). 2015年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月26日閲覧。