アンナ・フォン・エスターライヒ (1318-1343)
アンナ・フォン・エスターライヒ(ドイツ語:Anna von Österreich, 1318年 - 1343年12月14/15日)は、バイエルン公妃、のちゲルツ伯妃[1]。
アンナ・フォン・エスターライヒ Anna von Österreich | |
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出生 |
1318年 |
死去 |
1343年12月14/15日 神聖ローマ帝国 オーストリア公国、ウィーン |
配偶者 | 下バイエルン公ハインリヒ15世 |
ゲルツ伯ヨハン・ハインリヒ4世 | |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | ローマ王フリードリヒ3世 |
母親 | イサベル・デ・アラゴン |
生涯
編集アンナはローマ王フリードリヒ3世とイサベル・デ・アラゴンとの間の娘である。1321年か1322年に後のポーランド王カジミェシュ3世と婚約したが、父フリードリヒ3世がミュールドルフの戦いで敗北した後、解消された。1326年、アンナは下バイエルン公ハインリヒ15世と結婚したが、ハインリヒ15世は1333年に死去した。その3年後、アンナはゲルツ伯ヨハン・ハインリヒ4世と結婚したが、ヨハン・ハインリヒ4世も1338年に死去した。どちらの結婚でも子供は生まれなかった。2度目の夫の死後、アンナはクララ会修道院に入り女子修道院長となった。
参考文献
編集- Hamannová B., Habsburkové. Životopisná encyklopedie, Praha 1996, s. 62.
- Jasiński K., Rodowód Piastów małopolskich i kujawskich, Poznań-Wrocław 2001, s. 166-167.