アンドレイ・ボロヴィフ
ソビエト連邦の軍人
アンドレイ・イェゴーロヴィチ・ボロヴィフ(ロシア語: Андрей Егорович Боровых, ラテン文字転写: Andrei Egorovich Borovykh, 1921年10月30日 - 1989年11月7日)は、ソビエト連邦の軍人。ソ連邦英雄(2回)。最終階級は空軍上級大将[1]。第二次世界大戦では総撃墜数32機を記録したエース・パイロットである。
アンドレイ・イェゴーロヴィチ・ ボロヴィフ Андрей Егорович Боровых | |
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生誕 |
1921年10月30日 ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 クルスク県 クルスク |
死没 |
1989年11月7日 ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
所属組織 |
赤色空軍 ソビエト連邦空軍 |
軍歴 | 1940年 - 1989年 |
最終階級 | 空軍上級大将 |
経歴
編集1921年10月30日、ボロヴィフはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクルスクに生まれる。1936年に高校を卒業し、1940年に赤軍に入隊した[1][2]。
ボロヴィフは第16航空軍第6戦闘航空軍団第157戦闘航空連隊に所属しており[1]、1941年12月より大祖国戦争の前線に赴いている。彼はYak-7Bを駆り、敵機の迎撃や爆撃機の援護、偵察などでオリョールやクルスク、ホメリ、リヴィウ、ワルシャワ、ベルリンといった諸都市を飛び回った[2]。
叙勲
編集- ソヴィエト連邦
ソ連邦英雄2回 (1943年8月24日、1945年2月23日)[2] | |
レーニン勲章2回 | |
赤旗勲章5回 | |
アレクサンドル・ネフスキー勲章 | |
1等祖国戦争勲章 | |
赤星勲章3回 | |
3等ソ連軍勤務時祖国奉仕勲章 | |
1941年-1945年大祖国戦争における対ドイツ戦勝記章 | |
1941年–1945年大祖国戦争勝利20年記念記章 | |
1941年–1945年大祖国戦争勝利30年記念記章 | |
1941年–1945年大祖国戦争勝利40年記念記章 | |
戦功記章 | |
モスクワ防衛記章 | |
ベルリン攻略記章 | |
ワルシャワ解放記章 | |
ソ連軍退役軍人記章 | |
軍事協力強化記章 | |
処女地開拓記章2回 | |
ソビエト陸海軍30年記念記章 | |
ソ連軍40年記念記章 | |
ソ連軍50年記念記章 | |
ソ連軍60年記念記章 | |
ソ連軍70年記念記章 | |
1等完全軍務記章 | |
2等完全軍務記章 | |
ソ連名誉軍事操縦士 | |
優秀能力軍事操縦士1級 |
- 外国
4等ポーランド復興勲章 (ポーランド) | |
戦功記章 (モンゴル) (モンゴル人民共和国) | |
モンゴル人民軍50年記念記章 |
脚注
編集- ^ a b c "アンドレイ・ボロヴィフ". Герои страны ("Heroes of the Country") (ロシア語).
- ^ a b c “Andrey Borovykh”. ECC Sokolniki. 23 January 2014閲覧。