アントリム伯爵
アントリム伯爵(英: Earl of Antrim)、はイギリスの伯爵、貴族。アイルランド貴族爵位。有史以来2度創設されており、いずれもマクドネル家に対する叙爵である。
アントリム伯爵(第2期) Earl of Antrim | |
---|---|
Arms: Quarterly: 1st & 4th grand-quarters (for MacDonnell) 1st, Or, a Lion rampant Gules; 2nd, Or, a dexter Arm issuant from the sinister fess point out of a Cloud proper, in the hand a Cross-Crosslet fitchée erect Azure; 3rd, Argent, a Ship with sails furled Sable, 4th, per fess Azure and Vert, a Dolphin naiant in fess proper. 2nd & 3rd grand quarters (for Kerr) 1st & 4th, Azure, a Sun-in=Splendour Or; 2nd, Gules, on a Chevron Azure, three Mullets Gules; 3rd, Sable, on a Chevron between three Unicorn's Heads Argent, three Mullets Sable. Crests: 1st A dexter Arm embowed fesswise, couped at the shoulder, vested Or, cuffed Argent, holding in the hand a Cross-Crosslet fitchée erect Azure (for MacDonnell); 2nd, A Sun-in-Splendour Or (for Kerr). Supporters: Dexter: A Savage wreathed about the temples and loins with Ivy, all proper; Sinister: A Falcon wing inverted proper, beaked membered and belled Or.[註釈 1]
| |
創設時期 | 1785年6月19日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | アイルランド貴族 |
初代 | 5代アントリム伯爵ランダル・マクドネル |
現所有者 | 9代伯アレクサンダー・マクドネル |
相続人 | ダンルース子爵ランダル・マクドネル |
相続資格 | 初代伯爵の嫡出直系男子、男子なき場合は初代伯の長幼の序によって定まる娘の男系男子 (the 1st Earl's heirs male of his bodies lawfully begotten,with remainder, failing heirs male of his body, to his daughters in order of seniority, and the heirs male of their bodies respectively) |
付随称号 | ダンルース子爵 |
現況 | 存続 |
邸宅 | グレナーム城 |
旧邸宅 | ダンルース城 |
モットー | 常に備えよ (Toujours Prest) |
歴史
編集第1期(1620年)
編集マクドネル氏族はドナルド氏族の分枝であり、その一族はスコットランド、ハイランド地方及びアイルランド島に住まう氏族である[1]。その係累ランダル・マクドネル(?-1636)がアラン島よりアイルランドに移住したのち、1618年5月28日にアイルランド貴族としてアントリム県のダンルース子爵(Viscount Dunluce, co. Antrim)に叙されたことが伯爵家興隆の嚆矢であった[2][3]。彼はアントリム統監を務めたのち、1620年12月12日にアントリム伯爵(Earl of Antrim)に陛爵している[2][3]。
2代伯ランダル(1609-1683)は清教徒革命においては王党派として振る舞ったほか、1644年ごろにはアイルランド貴族爵位のアントリム侯爵(Marquess of Antrim)に昇叙したが彼には子がなかったため、この爵位は彼一代で途絶えている[2][3]。彼ののちは弟のアレクサンダーが爵位を襲った。
3代伯アレクサンダー(1615-1699)は1641年にクロムウェルより私権剥奪されていたが、襲爵前の1660年に私権回復していたため、爵位の相続には影響しなかった[2][4]。また彼は晩年にも私権剥奪を受けているが、1697年には再び私権回復を果たしたことで、次代へと爵位を継承させることができた[2][5]。
その曾孫にあたる6代伯ランダル(1749-1791)はアイルランド枢密顧問官やアントリム県長官を務め、1785年にアントリム伯爵(Earl of Antrim)及びダンルース子爵(Viscount Dunluce)に叙された[2][6][7][8]。この両爵位には特別継承権が付されており、彼の娘アン・キャサリンとシャーロット、および姉妹の男系子孫にも相続を認める内容であり、これら2つの爵位が現存する爵位である[2][6][7][8]。
彼はさらに1789年に特別継承権を持たないアントリム侯爵(Marquess of Antrim)に叙されている[6][7][9]。初代侯爵が男子なく没すると、特別継承権を持つ2つの爵位は姉のアン・キャサリンに相続された一方、残りの3つの爵位はすべて廃絶した[2][7]。
第2期(1785年)
編集第6代アントリム伯爵ランダル・マクドネル(1749-1791)が新規にアントリム伯爵(Earl of Antrim)に叙されたのち男子なく没すると、爵位は前述のとおり長姉アン・キャサリンに継承された[7]。
その2代女伯アン・キャサリン(1778-1834)も継承すべき男子を欠いたため、爵位は妹のシャーロットに相続されている[6][7]。
3代女伯シャーロット(1779-1835)ののちは、その長男ヒュー、次男マークの順で継承されており、以降はその男系子孫で現在に至っている[7][11]。
8代伯ランダル(1911–1977)はナショナルトラスト協会会長を務めた[7][12]。その息子である9代伯アレクサンダー(1935-)がアントリム伯爵家現当主である。
現当主の保有爵位
編集現当主である第9代アントリム伯爵アレクサンダー・マクドネルは、以下の爵位を有する[7]。
一覧
編集アントリム伯爵(第1期;1620年)
編集- 初代アントリム伯爵ランダル・マクドネル (?-1636)
- 第2代アントリム伯爵ランダル・マクドネル (1609–1682) (1645年にアントリム侯爵叙爵)
アントリム侯爵(第1期;1645年)
編集- 初代アントリム侯爵ランダル・マクドネル (1609–1682) (1682年にアントリム侯爵廃絶)
アントリム伯爵(第1期;1620年)
編集- 第3代アントリム伯爵アレクサンダー・マクドネル (1615–1699)
- 第4代アントリム伯爵ランダル・マクドネル (1680–1721)
- 第5代アントリム伯爵アレクサンダー・マクドネル (1713–1775)
- 第6代アントリム伯爵ランダル・ウィリアム・マクドネル (1749–1791) (1785年にアントリム伯爵叙爵、1789年にアントリム侯爵叙爵)
アントリム侯爵(第2期;1789年)
編集- 初代アントリム侯爵ランダル・ウィリアム・マクドネル (1749–1791) (1791年にアントリム侯爵、アントリム伯爵(1620年)廃絶)
アントリム伯爵(第2期;1785年)
編集- 初代アントリム伯爵(初代アントリム侯爵)ランダル・ウィリアム・マクドネル (1749–1791)
- 第2代アントリム女伯爵アン・キャサリン・マクドネル (1778-1834)
- 第3代アントリム女伯爵シャーロット・カー (1779–1835)
- 第4代アントリム伯爵ヒュー・シーモア・マクドネル (1812–1855)
- 第5代アントリム伯爵マーク・マクドネル (1814–1869)
- 第6代アントリム伯爵ウィリアム・ランダル・マクドネル (1851–1918)
- 第7代アントリム伯爵ランダル・マーク・カー・マクドネル (1878–1932)
- 第8代アントリム伯爵ランダル・ジョン・ソマレド・マクドネル(1911–1977)
- 第9代アントリム伯爵アレクサンダー・ランダル・マーク・マクドネル (1935-)
法定推定相続人は、現当主の息子であるダンルース子爵(儀礼称号)レジナルド・アレクサンダー・セントジョン・マクドネル(1967-)。
法定推定相続人の法定推定相続人は、その息子であるアレクサンダー・デイヴィッド・ソマレド・マクドネル(2006-)閣下。
脚注
編集註釈
編集出典
編集- ^ “Wayback Machine”. web.archive.org (2012年9月3日). 2020年2月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Antrim, Earl of (I, 1620 - 1791)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月8日閲覧。
- ^ a b c d Dunlop, Robert (1893). . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 35. London: Smith, Elder & Co. p. 54-55.
- ^ Meehan 1870, p. 402: "But the grand object for which this parliament met was not achieved till October 1614, when Sir John Everard ... brought in a bill for confiscating the vast territories of the fugitive earls ..."
- ^ Hill 1873, p. 358: "... suffered forfeiture as an adherent of James II. He had now become old and was comparably unable to wrestle with the difficulties of his position, but he persevered in his efforts to regain the family estates, and was eventually fortunate in getting his case included in the articles of Limerick."
- ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 176–177.
- ^ a b c d e f g h i j “Antrim, Earl of (I, 1785)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月8日閲覧。
- ^ a b “No.12661”. The Gazette 2 July 1785. 2020年2月9日閲覧。
- ^ “No.13124”. The Gazette 18 August 1789. 2020年2月9日閲覧。
- ^ Castle, Glenarm. “Glenarm Castle in N. Ireland”. www.glenarmcastle.com. 2018年4月6日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 177–178.
- ^ Winnifrith, John. "McDonnell, Randal John Somerled". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/31389。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
参考文献
編集- Meehan, Charles Patrick (1870), The Fate and Fortunes of Hugh O'Neill, Earl of Tyrone. and Rory O'Donel, Earl of Tyconnel; their Flight from Ireland and Death in Exile (2nd ed.), Dublin: James Duffy
- Hill, George (1873), An Historical Account of the MacDonnells of Antrim, Belfast: Archer & Sons